2000年5月26日金曜日

第45回 自転車で行くJリーグ

 ついに、ようやく、わたしは「わがチーム」のホームゲームに出かけた。2000Jリーグ開幕から約2カ月。ファーストステージ第11節、5月6日土曜日、FC東京対川崎フロンターレ戦は、駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場で行われた。

 ふだんの土曜日なら自分の練習と重なって行けないところだが、ゴールデンウィークを利用して長野県菅平で行われた大会に前日まで遠征していたので、この日はオフだった。

 駒沢公園まではうちから距離にして3キロ強。自転車で15分、歩いて30分ほどのところだ。朝からうきうきした気分で、キックオフの午後1時に合わせて、ランチをもって自転車で出かけた。

 Jリーグが始まってから7年間、自分の町にチームをもたなかったわたしは、いろいろなスタジアムに出かけていって試合を観戦し、お気に入りの選手を応援した。しかし、何かもの足りなかった。浦和の駒場競技場や鹿嶋のカシマスタジアムには、家族連れや友だち同士が自転車で四方八方から集まってきて、試合が終わると三三五五散っていく。わたしはその風景にものすごくあこがれを感じていた。

 実際、FC東京にとって駒沢は仮の住まいで、来シーズンからは調布市に東京スタジアムが立派にできあがることになっている。「自転車で行くJリーグ」は今回限りかもしれない。しかし、夢は実現した。

 この気持ちをどう表現したらよいだろう。そう、日本代表が初めてワールドカップのピッチに立ったときに似ている。わたしは1982年から毎回ワールドカップに出かけていっては、ブラジル代表やフランス代表のユニホームを着て、応援していた。それはそれで本当に楽しくて、ワールドカップを堪能したと思っていた。しかし、98年フランス大会、トゥールーズのミュニシパル・スタジアムのピッチに立つ日本代表の姿をスタンドから見たとき、それまでとはまったく違った感情に支配された。「わたしのワールドカップはこれなんだ」と。

 「わたしのJリーグがようやくやってきた」
 J2から応援しているファンやサポーターの人たちからは「なにをいまさら」と笑われるかもしれないが、遅ればせながらのファンをどうか受け入れてほしい。

 試合は、今季J2からJ1に昇格したチーム同士の力のはいったものだった。FC東京がしっかしとした守備から前へ前へ出ていくサッカーで川崎を圧倒したが、監督が替わったばかりの川崎も最後まであきめずに東京を苦しめ、結果は2-1。なかでも昨季まで川崎に所属していたツゥットは両チームのファンの声援を受けて、グラウンドを縦横無尽に走り回り、攻守に活躍した。

 この日の入場者数は1万1229。2万人収容の駒沢の陸上競技場がなんとなく埋まった感じだ。わたしはもちろんレッズやアントラーズのサポーターはすごいと思う。あんなに大勢でいつも応援したいと思う。しかし、このくらいのファンで埋まる、このくらいの規模のスタジアムをもつチームが、日本中に、だれもが自分の町にもてたとしたら、どんなにしあわせだろう。

 「お~れのとうきょう、ほ~こりをもって~、立ち上がってみんなで歌おう、ランラララッラ、ラッラ、ララ~
 覚えたての応援歌を口ずさみ、わがチームの勝利に酔い、しあわせな気分で自転車をこぎながらうちに帰った。