1998年8月28日金曜日

第6回 夏がくれば思い出す


 合宿所のメッカといえば千葉県にある東京大学検見川(けみがわ)グラウンドだった。サッカーグラウンドが5、6面あり、お世辞にもきれいとはいえない宿泊施設がついている。テレビもない、もちろんクーラーなんかない、ざこ寝の部屋だ。本来は東京大学の学生のための施設だが、一般にも貸し出されている。なんといっても当時は、日本代表をはじめとする各年代の代表も、合宿といえば検見川だった。

 代表など特別なチームが使用する芝生のグラウンドが1面あったが、わたしたちが使えるのは固い土のグラウンド。クロスカントリーの練習場にもなる、だだっぴろい敷地にグラウンドが点在し、夏の照りつける日差しをさえぎる木陰もほとんどなく、飲料用の水道もない。練習前に、食堂で大きなやかんを1個借りて、冷水機の水を入れてグラウンドに出た。

 特別にきびしいクラブではなかったし、練習中に水を飲んではいけないということはなかったが、休憩時にコップに一杯飲むか、うがいをする程度だった。たくさん水を飲むとよけいに疲れるとか、がまんすることで精神力が鍛えられるといった暗黙の空気があったのだ。給水の重要性はなんとなくわかってはいたが、どれくらい飲めばいいのかという具体的な知識がまだなかった時代だった。

 炎天下で土ぼこりにまみれて、水もろくに飲まないで練習した。脱水症状で倒れる子もいた。それが夏合宿というものだった。つらく苦しい夏合宿を乗り切れば、秋の試合には体が動くし、うまくなっている、そう信じてがんばっていた。しかし、夏合宿を最後に練習に姿を見せなくなった子もいた。やめないまでも、合宿になるとサッカーをやめたくなるという子は何人もいた。

 わたしはけっして「練習ぎらい」ではない。むしろ「練習好き」である。単調な練習でも、きつい練習でも「サッカーがうまくなる」と思えば、先頭に立って喜んでやった。そんなわたしでさえ、夏の検見川は、練習に出る足が重かった。

 検見川で合宿することはサッカー選手である証のように思っていた。そこでやり遂げることは、すばらしい充実感もあったし、自信にもなった。でも、サッカーがきらいになってしまっては何もならない。

 いま、わたしが合宿所を選ぶときの第1の条件はきれいな芝生のグラウンドがあるということだ。芝生だと、キックなどの技術的な練習はもちろん、戦術の練習も効果的にできるし、練習の成果が表れやすい。それに、なによりグラウンドに出ることが楽しくなる。練習に意欲的に取り組めることはとても大切なことだ。

 給水の重要性はいまや常識となっている。わたしたちは1回の練習に1人あたり1リットル以上のスポーツドリンクと吸収の速い特別のお茶を非常に冷えた状態で用意している。のどが渇く前に適切なタイミングで給水することは、言うほど簡単にはいかないが、飲むことの意識づけをすることによって、かなりコンディションよく練習ができていると思う。

 いま、わたしのチームでは合宿は楽しいものになった。短い期間だが、仲間といっしょに寝食を共にし、一日中サッカーできることが純粋にうれしいのだ。しかし、いちばんの理由は「真夏に合宿をやらない」ことにあるのかもしれない。