1999年9月24日金曜日

第32回 選手はプレーするしかない

 長く暑い夏を経験した体は、秋には強くたくましく、そして動きが軽くなっている。毎年この時期に感じることだ。前後がわからないほど日焼けした外観だけではない。つい2、3週間前までは、あえぐように走り回っていたグラウンドもいまは狭く感じられる。

 そして10月から始まる後期リーグに突入だ。予定どおりだ。のはずだった。しかし、ことしの夏は予想以上にわたしの体にダメージを与えていたようだ。いまになって、どっと疲れが出ている。リンパ腺が腫れ、微熱が続き、体全体に倦怠感がある。こんなことはいままで経験したことがない。

 リーグ戦再開まであと1週間というのに、どうしたことだ。こんなときはとにかく休養だ。体を休めるに限る。しっかり栄養のある食事をし、十分な睡眠をとる。そして、スポーツクラブに行ってストレッチを中心に体をほぐす。熱が下がれば、プールに行ってリフレッシュするのもいいだろう。やらなければならないことが、きちんと整理されてつぎつぎと頭に浮かんでくる。

 しかし、実際の生活とはあまりにかけ離れている。現実はというと、仕事に振り回されている。平日の夜の練習のあとにさえ、疲れ切った体を引きずって仕事場に戻り、締め切りに間に合わせるために仕事を片づけている。要領が悪いと朝までかかることもある。サッカー選手の風上にもおけない生活だ。

 こんなことで週末の試合にいいプレーができるわけがない。理想と現実のはざまであせり、悶々とする毎日だ。こんなときプロの選手なら、サッカーのことだけを考えて生活すればいいんだろうなあなどと考えているところに衝撃的なニュースが飛び込んできた。

 「松下電器女子サッカー部、今季限りで廃部」

 高倉麻子が、今シーズンのLリーグ開幕直前の7月に読売ベレーザ(現・NTVベレーザ)から松下電器に移籍したばかりだった。

 わたしが日本代表でいっしょにプレーしたのは、1980年代の前半、高倉が中学から高校のころだ。当時高倉は東京都リーグのFCジンナンに所属していたが(のちに読売ベレーザに移籍)、実家は福島県にあり、サッカーのために週末だけ東京に出てきていた。そんな生活は東京の大学に進学するまで続いた。抜群のテクニックとセンスをもち、その華麗なプレーはまぎれもなく、日本のトッププレーヤーだった。

 1989年、高倉が大学3年生のとき、日本リーグ(Lリーグ)が始まる。強豪読売ベレーザの主力選手として、つねにチームをひっぱった。大学卒業後はスポーツクラブで働きながらプレーを続けた。

 1994年、26歳のときプロ選手となる。
 「べつにプロになるためにサッカーをやってきたわけではないし、プロになったという感慨はとくにありませんでした。ただ、26歳という年齢もあったと思いますが、スポーツクラブで仕事をしながら、トップリーグでサッカーを続けていくのは身体的にきついなと思い始めていたころだったので、生活の心配なくサッカーに打ちこめるようになったのはありがたかったですね」

 昨シーズン末に4チームが撤退したことで、Lリーグは大きく揺れた。残ったほかのどのチームも同じように状況はきびしいものだったからだ。今シーズンから、外国人選手登録禁止を申し合わせるなど、リーグ存続とチームの生き残りをかけて、各チームは運営に大きくメスをいれた。そのひとつとして、読売ベレーザはプロ選手をもつことをあきらめた。

 6月いっぱいで読売との契約が切れた高倉は、いままでと同様の条件を提示してくれた松下電器に移籍することにした。シーズン開幕のわずか5日前のことだった。長年過ごした読売ベレーザに愛着はあったが、松下電器が高倉の力を必要としているのを感じたし、新しい環境でもう一度やってみようと思い、決心した。

 「(廃部のニュースは)もちろん、びっくりしました。2カ月半前に移籍し、あっという間に前期リーグが終わり、これからだと思っていましたから・・・。わたしたちは、新聞でニュースを読んだ人と同じです。ただ通達を受け入れるしかないんです。選手としてできることはプレーすることです。残りの試合を一生懸命やります」

 「来年のことは、まったく考えていません。Lリーグがどうなるかもわからないし、国内で移籍することはまずできないでしょうね。ただ、このままこういう状況で、なし崩し的にサッカーをやめさせられてしまうのはくやしい。漠然と、外国でプレーしたいという気持ちはあります。プロとかお金とかはどうでもいいんです。レベルの高い、しっかりと組織されたリーグの、きちんとしたチームでサッカーがやりたい」

 いま女子のプロと呼べる選手が何人いるかはわからない。そもそも女子のプロなんて早すぎたという考えもあるだろう。しかし、女子サッカーの普及と強化という点で、Lリーグの果たしてきた役割は大きいし、高倉をはじめとする何人かの選手が先頭に立って、日本の女子サッカーを引き上げてきたことは疑いのない事実だ。

 「わたしたちはいまのこの状況をどうすることもできない。選手はただプレーするしかないんです」
 高倉の言葉が胸にひびいた。
10
月2日から始まるLリーグ・後期リーグの松下電器の高倉からは目が離せない。その心意気がチームメートに伝わり、Lリーグ全体に広がることを期待している。

 わたしのような選手も環境に流されることなく、きびしく自分を律していきたいと強く思う。さあ、早く仕事を終わらせよう。