1999年12月17日金曜日

第37回 世界デビュー




 12月にはいると、ドミノ倒しのように一日一日が過ぎていく。毎年のことなのだが、ことしはなかなか寒くならなかったせいか、気がつくともうこんな時期になっていた。

 「2000年まであと××日」。世間は毎日が2000年へのカウントダウンだ。

 しかし、わたしたちはすでに2002年への幕開けをしてしまった。
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月7日、2002 FIFA World Cup Korea/Japan予選抽選会が東京国際フォーラムで行われた。予選に参加するのは195カ国。2年間にわたって本大会への29の切符をかけて戦う。その第一歩が始まったのだ。

 会場には海外から約100人、国内から約200人の記者と約100人のカメラマンが取材に訪れ、ペレ、ボビー・チャールトン、ベッケンバウアー、プラティニらビッグネームがゲストとして顔をそろえた。ワールドカップならではの雰囲気だ。

 この華やかな序章を日本のどれだけの人たちが楽しむことができただろうか。テレビの生中継はあったものの、地上波ではなくNHK衛星放送だった。多くの人たちの関心を集めているとはいいがたい。わたしたち日本人は開催国なので、予選を戦う必要がない。抽選会のなかに日本は登場しない。しかし、わたしたちの2002年ワールドカップはここから始まっている。

 これだけ多くの国が日本と韓国をめざして、これから戦っていくのだ。思い出してみよう。98年フランス大会の予選のとき、わたしたちはずっと「フランスへ行こう!」と歌い続けた。これから195の国で、195の国の言葉で「日本へ行こう! 韓国へ行こう!」と歌われるのだ。考えただけでもぞくぞくとしてくる。

 この地域のこのグループからはどの国が勝ち上がってくるのだろうか。地図帳をめくり、地球儀をまわし、どんな言語が使われているのか調べたりするのだろう。そうすれば、地球上のほとんどの国が日本をめざして予選を戦うということがわかるはずだ。そして、どの国もいままでよりずっと近く感じられるのだろう。

 年末にはやらなければならないことがある。開催都市に住む遠い親戚や遠い友人を探して、年賀状を書こう。ご無沙汰をわびて、ワールドカップへの思いを一言添えよう。きっと2年後にはお世話になるのだろうから。いや、開催都市だけではない。キャンプ候補地も要チェックだ。2002年に向けてやることは山ほどあるのだ。

 さて、今回の抽選会で日本の若きスターが世界にデビューした。正確にいうと小野伸二は98年フランス大会のジャマイカ戦に18歳でデビューした。しかし、15分間というあまりにも短いものだった。小野が本当に世界に強い印象を与えるのはこれからだろう。2002年のピッチには、押しも押されもせぬワールドクラスの選手として立っているに違いない。

「J2落ちが決まっても温かい声援を送ってくれたファンに応えるように、レッズは天皇杯を勝ち進んだ。2000年1月1日、国立競技場は真っ赤に染まった。試合後、ロイヤルボックスの中央で、天皇杯を頭上にかかげる小野がいた。翌日、小野はイングランドに旅立った」

 わたしはこんな初夢を見たい。ドミノ倒しのような年末の日々のなか、天皇杯からも目が離せない。