1998年9月18日金曜日

第7回 「グラウンド取りのプロ」の嘆き


第7回
「グラウンド取りのプロ」の嘆き


 台風が大雨をもたらし、去ったあと、東京はいっきに秋になった。

 「シーズン到来!」である。この季節になると、夏の練習や試合を経験した体はすごく軽く感じられ、なんだか少しサッカーがうまくなったような気になる。
サッカーが楽しくて、サッカーをやりたくてしかたなくなる季節なのだ。

 しかし、しかし大きな問題がある。グラウンドが取れないのだ。

 わたしたちのチームは、都や区のチームとして登録し、月に一度の抽選に参加しグラウンドを取る。平日の夜は月に1、2回の中学校の校庭と3、4回の中学校の体育館が取れる。土、日の昼間となると状況はいっぺんにきびしくなる。土曜日は月に1回、日曜日となると年に数回という程度だ。それも真夏とか真冬とか人々がサッカーをあまりやりたくない季節にしか取れない。

 東京のサッカーグラウンドは、需要と供給のバランスがまったくとれていない。抽選は「神だのみ」といっても過言ではない。しかも、9月から11月の日曜日には、都民大会、区民大会、運動会など行事がたくさんあって、グラウンドはほとんど貸し出しもされない状態だ。この季節に公共のグラウンドを取るというのは至難の業なのだ。

 わたしは、グラウンド取りのプロを自負している。20年もの間、都内の一般に貸し出すグラウンドを探し続け、抽選に参加し続けているのだ。プロといっても多くのグラウンドを取れるわけではない。グラウンドの特長を熟知しているのだ。このグラウンドはどういう人が使えて、競争率はどのくらいとか、このグラウンドはこのくらいの雨なら使えるが、晴れていても前日あのくらい降ったから使えないだろうとか。管理人はどういう人で、どのようにつきあえばいいかなど。多くのグラウンドを知れば知るほど、どうしてもっと利用者の立場になって考えられないのだろうと感じさせられる。「いやだったら使わなくていいんだよ」という態度のところが多すぎるからだ。

 ある日曜日のこと。だれもグラウンドが使えないなんて考えもしないような、雲ひとつない晴れた日だった。前日の夕方まで雨が降っていたので、わたしは念のために朝一番、8時半にグラウンドに電話した。「11時からのグラウンドは使用できますか?」「はい、できます」。わたしはホッとして、相手チームに連絡して、自分のチームにも連絡を回した。出かけようとしたときだ。電話が鳴って「きょうのグラウンドは使えません」という。わたしは、事前に電話で確認したこと、ほとんどの人がすでにグラウンドに向かってしまっていることを話し、なんとか使わせてくれるように頼んだ。しかし、答えは変わらなかった。グラウンドに行き、相手チームにあやまり、チームメートにも事情を話し、理解してもらった。

 グラウンドは外から見た目には、水たまりひとつなく、きれいなものだった。きっと、地面はやわらかく、使用すればずいぶん荒れてしまうのだろう。しかし、最初の応対にミスがあり、ほとんどの人が2時間近くもかけてグラウンドに足を運ぶことになったのだから、整備は大変になるだろうけれど、使用させるべきだろう。それが無理なら、せっかく来たのだから、試合はできないけれどグラウンドのいい場所だけ使って練習させることもできるのではないか。

 激しい競争に勝って、やっと手にしたグラウンドでも、こんな思いをさせられることはめずらしいくない。もっと簡単に借りることができ、もっと利用者本位に考えてくれるグラウンドはないものか。

 東京はせまい土地にたくさんの人がいて、住むのにも不自由なのに、グラウンドなんて贅沢なのだろうか。しかし、土、日に都内を車で走っていると、意外と多くの使用していないグラウンドに出くわす。学校や企業のグラウンドだ。
 学校は開放しているところもあるが、まだまだ少ない。企業はまったく閉鎖的だ。
 せまい東京だからこそ、学校や企業が自分たちのものとして抱えてしまわないで、地域のものとして、だれでも使えるようにならないものだろうか。

 というわけで、いまのわたしはグラウンドを持っているチームに「試合の申し込み」の電話をかける日々である。