1998年12月25日金曜日

第14回 自分の身体と相談するということ


 カズのクロアチア・ザグレブへの移籍がほとんど決まったそうだ。それを聞いてとてもうれしく思う。わたしはカズをとても尊敬している。芸能人的な私生活にはまったく興味はないが、サッカーへの取り組み方、どんなインタビューに対してもけっして感情をむき出しにせず、いつも立派な態度で対応する。マイクやカメラの向こうには多くのファンがいることをけっして忘れることはない。そんな姿に真のプロフェッショナルを感じていた。

 しかし、プロであるがゆえに厳しい風も吹く。チームの成績が悪い、期待どおりの活躍ができない、クラブの経営状態が悪いなどの理由で年俸が大幅に下がったり、チームを移らざるをえなくなったり、引退を余儀なくされることもある。

 カズの場合はどの理由もあてはまった。「引退?」の文字も新聞に載った。そんななかでの今回の移籍は、カズが自分が生きていくにふさわしい場所を自分で探し出したということがすばらしいと思う。心から応援したい。

 わたしもこの時期になるといろいろなことを考える。シーズンを終えて、満足のいくプレーができたか、納得できる成績だったか。

 2年ほど前から、体の限界ということを考えるようになった。1996年、30代最後の年は、体のいたるところが悲鳴をあげていた。貧血、腰痛、ヒザ痛に悩まされた。貧血は注射と薬で改善したが、腰痛とヒザの痛みは骨の変形によるもので、いろいろな治療を試したがほとんど効果がなかった。痛みが出るとろくに練習もできず、試合は緊張のためか痛みはあまり感じずにできたが、プレーは満足できるものではなかった。
 最終戦のあと「これで終わりだな」と感じた。

 しかし、やめられなかった。サッカーをやめる決心をした翌日から生き残る道を探していた。38歳で現役を引退した元ヴェルディの加藤久さんが、選手生活の晩年に「自分の体を自分の研究の実験台にしている」といった言葉が心の支えになった。

 「実験」はすぐに始まった。「開幕までの5カ月間でどれだけ筋肉をつけられるか。一シーズン乗り切れる筋力をつけられるか」というテーマだ。チームの練習のない日はかならず仕事前の1時間を筋力トレーニングの時間とした。週2、3回のスポーツクラブ通いを2カ月続けると体つきに変化が現れはじめた。シーズンの始まる4月には、前年とはまったく違う状態になっていた。シーズン中も同じペースでトレーニングを続けた。疲労感はあったが、サッカーのできる体に戻れた喜びのほうが大きかった。チームも東京都のタイトルをすべて取ることができ、その一員としてプレーできたしあわせを感じた。

 97年のシーズンの終わりは充実感と達成感があったが、この「実験」は1年間が限界だった。

 ことしも同じようにシーズンを迎えたが、すぐに筋肉のトラブルに悩まされた。ももの裏、背中、肩にいつも違和感を感じていた。多分、疲労がたまっていたのだろう。筋力トレーニングは大幅に減少せざるをえなくなり、去年の貯金を使いながらシーズンを乗り切る形になった。

 いまシーズンを終えて思うのは、これで終われるという満足感など得られないということだ。都並や同い年のラモスの引退に心は大きく動揺したが、わたしはプロでも一流選手でもない。できなくなるときは自然にやってくるのだろう。

 2、3年前までは自分の年齢や体の不調を口にすることはほとんどなかった。そうしなければ、ひとまわり以上年齢の違うチームメートと一緒にやっていくことなどできないと思っていた。いまは違う。

 「ちょっと走っただけで息が切れるので『これが年というものか』としばらくひとりで悩んだあげく医者に行ったら、ひどい貧血だった。貧血を治したらもとどおり走れるようになった」など、些細と思われるようなことも周囲の選手たちに話すようになった。わたしたちのような町のクラブには、ドクターもトレーナーもいない。そのかわり、生きた標本が役に立てればいいと思っている。

 来シーズンに向けて、筋肉の疲労をできるだけ残さないような筋力トレーニングを考えながらやっていこうと思う。さて、「実験」はうまくいくだろうか。