2014年5月22日木曜日

リーグ戦が始まる!




日曜日にリーグ戦が開幕する!

この時期になると、新しいシーズンに向けて、前のシーズンよりも絶対にいいシーズンにしてやるぞという強い思いがみなぎるものだ。そのためにオフシーズンにいろいろなトレーニングにトライをするわけだから。

でも、話はそう簡単ではない。

7年半前に右ひざの手術をしてからは、というより、もう10年近く前から私のひざはにっちもさっちもいかない状態になっていた。だから、毎年、新しいシーズンを迎えるときにも、「ことし1年もつだろうか・・・」というような消極的な思いにとらわれていた。

そういう思いを断ち切るために手術を選択したわけなのだが、術後も状況は好転するどころか手術のダメージから回復できず、術前より悪い状態から抜け出せなかった。

治療家との出会いで、下降線から上昇傾向へ

それがようやく好転しはじめたのが6年前のことだ。整形外科的なアプローチをあきらめたとき、目の前に信頼できる治療家が現れたのだ。そして2年間、その治療院に通い詰めた。下降線をたどっていた状態からようやく上昇傾向が見え始めたが、プレーをしながらの治療では回復への歩みはのろかった。

はじめは、3カ月から半年くらいでもとに戻るだろうと思っていた。でも、「もとってどこだ?」「どうなれば回復と言えるのか!?」。最初の痛みがなくなっても、別の部位が痛みはじめる。何かができるようになっても、次つぎとできないことが出現した。

1歩進んでは2歩戻ったり、3歩進んだと思ったらまた1歩戻ったり、そんなことを繰り返しながら2年が経ったとき、痛みは大きく軽減し、プレーするときに片時も離せなかったひざのサポーターはとれたけれど、どうやって走っていたのか、どうやって蹴っていたのか、わからなくなっていた。痛みをかばう動きが身に付いてしまっていたのだ。

カラダのフルモデルチェンジへ

そのとき、目の前に「動きの師匠」と呼べる人が現れた。

私のサッカー人生の幸運は節目節目で大きな出会いに恵まれてきたことだ。

治療家に身を委ねる時期は終わり、自分自身で痛みのでない動きを見つけて、よりパフォーマンスをあげていくアプローチへと移っていく。

師匠は言った。「これはカラダのフルモデルチェンジです」。補修ではない、新しいカラダに生まれ変わるのだ。なんと希望に満ちた言葉だっただろう。

しかし、「言うは易し」。フルモデルチェンジへの道のりは険しかった。いままで持っていた常識を全部捨てなければならなかった。がんばって、がんばって、がんばってきた30数年間の取り組みをひとつひとつやめていくことから始まった。

毎晩寝る前の300回の腹筋はトレーニングというより習慣みたいなものだった。練習のない日はスポーツクラブに通いマシントレーニングに励んだ。痛みがあっても決して練習は休まず、若い選手と同じ練習メニューをこなした。カラダに厳しくすることが、カラダを楽にすることにつながると信じていた。

「まず、筋トレはやめましょう」
「痛いことはやらない」

師匠は、まずこの2つを私に課した。痛いことをやってはいけないとなれば、練習に行ってもやれることはない。「練習を休まずやる」ことで保っていた私の競技へのモチベーションはどうなってしまうのか。

「失うものなど何もないからすべてを受け入れる」と自分に言い聞かせて始めた取り組みだったけれど、これを受け入れてしまったら自分が自分でなくなってしまう気がした。

筋トレはすっぱりやめた。でも、練習は休めなかった。

とはいえ、師匠が教えてくれたフェルデンクライス・メソッドの動きをベースとしたハーモニー体操というムーブメントは徐々に少しずつではあるが私の動きを変えていった。

痛みに対するアプローチはこの2つだった。
「痛みを探さない」
「痛みから逃げる」

痛いのが当たり前だと思っていた私は、いま思えば、わざわざ痛い動きを選んでいた。「痛みを乗り越えてこそ、何かがある」と思っていた節がある。ほかに道があるとは想像もしていなかった。それは痛みの出る動きをカラダに覚え込ませていたようなものだった。

練習は、ひとつひとつの動きをチェックしていく作業になった。「痛みをかばう」動きと「あえて痛みの出る」動き、それが私のなかに共存していた。「痛みを探さない、痛みから逃げる」動きと「痛みをかばう」動きは根本的に違う。そういうことを理解することから始まった。

師匠が提案してくれた動きを私はすぐに自分のものとして動くことができなかった。けっしてむずかしい動きではないのにできなかった。頭では理解できるけれど、30年以上かけて覚え込んだ動きをカラダは簡単には手放さなかった。

小さなアップダウンを繰り返す

フルモデルチェンジへの道のりは牛のようにのろかった。

1シーズンをかけて、動きを変え、パフォーマンスをあげていこうとしていた。動きが変わるとできるプレーも増える。しかし、できることが増えると、突然の痛みがやってきた。それはあらゆる部位にあらわれた。

激しい痛みに襲われると、治療家の先生に泣きついた。それは私の取り組みでいえば、大きな後退だった。

「良くなってくると、悪いことがやってくる」。シーズン中に小さなアップダウンは何度かあったが、毎年、シーズン開幕前には顕著にあらわれた。オフシーズントレーニングを順調にこなし、新シーズンを迎えるにあたり「ことしこそ!」とワクワクしていると、かならず大きな痛みがどこかにあらわれた。そして開幕に間に合わず、またシーズンをかけて、監督やチームメートの信頼を取り戻すことをしていかなければならなかった。それが3年繰り返された。

カラダと心のバランスが必要だった

その間に私はハーモニー体操の指導資格を取り、人に教えることも始めた。それによって、カラダに対する理解も深まった。人のカラダを見ていると、自分のカラダでは気づかないことがよくわかる。

それなのに、なぜ同じことを繰り返すのか。もしかしたら、それはカラダの問題だけではないのではないか。自分の内にある心が何かしらの暗示をかけているのかもしれない。そう思うに至った。

昨シーズンは、カラダへの取り組みに加えて、心へのアプローチを始めた。「心技体」という言葉はよく使われる。「心」というのは、強い精神力を意味すると思っていた。つらいときにもがんばり抜ける精神力。私はそういうものはまあまあ持っているほうじゃないかと思っていた。「がんばり」だけで生きてきたようなものだ。でも、自分の心にアプローチしていくと、その「がんばり」こそが自分の心をがんじがらめに縛り付け、カラダと心のバランスを崩していることに気づかされた。そこから自由にならなければ、負のスパイラルは繰り返される。

昨シーズン、とくに後半は、カラダのこと、心の持ち方が自分のなかで整理されて、パフォーマンスは上がっていった。

さぁ、いよいよ新しいシーズンが始まる!

お約束のように、悪魔はやってきた。

5月の連休の菅平で突然ひざに痛みがやってきて、走れなくなった。リーグ戦が始まる前の仕上げの大会と位置づけしていたので、かなりショックを受けた。

ただ、いままでと違うのは、冷静に向き合って対処できたことだ。「この痛みはどこからきたものか」と原因をあれこれ考えるよりも、どういうやり方をすれば痛みは軽減されるかということに主眼を置いた。この4年間で痛みから逃げる方法が自分のなかにたくさん蓄積されていた。人のカラダを見てわかったこと、自分のカラダで試したこと、それらを総動員したら、大会期間中に痛みはなくなっていた。

いままでの私とは違うぞ!
どこからでもかかってこい!

日曜日から始まるリーグ戦が楽しみでならない。



プロフィール

大原智子(おおはら・ともこ)
三重県伊勢市出身。1976年大学入学と同時にサッカーを始め、卒業後はクラブチームFCPAFを創設した。76年からチキンフットボールリーグ、81年にスタートした東京都女子リーグでプレーし、現在もFCPAFで現役。81年から84年まで日本代表。ポジションはMFだが、日本代表ではDF。クラブでも、チームの必要に応じてFW、DFでもプレーした。選手活動のかたわら、ワールドカップは82年スペイン大会、86年メキシコ大会、90年イタリア大会、94年アメリカ大会、98年フランス大会、02年日本/韓国大会、06年ドイツ大会、10年南アフリカ大会、8大会を観戦している。
著書 『がんばれ、女子サッカー』共著 岩波アクティブ新書
・フリーランス・エディター/ライター
・ハーモニー体操プログラム正指導員、ハーモニー体操エンジンプログラマー