1999年4月30日金曜日

第22回 「サッカー」に忠実な放送が見たい

「ファイナリスト」。なんと誇らしい響きだろう。

 1979年9月7日、国立競技場は満員だった。
 ワールドユース79決勝、アルゼンチン対ソ連はわたしが初めて見た、国と国が世界の頂点をめざして戦う試合だった。ソ連のスピード、ディアスのドリブルからのシュート、マラドーナの一挙手一投足に興奮した。マラドーナのフリーキックにスタジアムは一瞬息をのみ、ゴールした次の瞬間うなりを上げた。全身に鳥肌がたったのを覚えている。
 これが「ワールドユース決勝」というもののわたしの強烈なイメージだった。

 しかし、20年たったいま、日本ユース代表がわたしに新しい1ページを開いてくれた。1999年4月24日(ナイジェリア時間)、ワールドユース99決勝戦。試合前にピッチに入場してくる日本ユース代表は堂々としてファイナリストとしてふさわしいものだった。

 決勝戦にいたるまでの1試合1試合の誇り高い戦いの積み重ねがわたしの心に深く刻み込まれている。現地のスタジアムで応援することはできなかったが、毎試合テレビの生中継があったおかげで、ともに戦い、ともに決勝戦までたどり着いた気にさせてもらった。

 それにしても、4月24日はテレビでサッカー三昧の1日だった。午後1時から日本テレビでヴェルディ-ジェフ戦、午後3時からテレビ朝日でF・マリノス-アントラーズ戦、午後7時からはNHK衛星第一でエスパルス-ジュビロ戦、午後10時からワールドユース3位決定戦、そして日付が変わって25日午前1時からワールドユース決勝、そのあともアビスパ-セレッソ戦を録画でやっていた。

 最近ではほとんどNHK衛星第一でしかJリーグの中継をやらなくなっていたので、おなかをすかせた子供のようにガツガツとむさぼるように見てしまった。こうしてみると、各局工夫を凝らして特徴ある放送にしようとしていることはわかる。しかしそれが正しい方向性であるかどうかははなはだ疑問だ。

 Jリーグとワールドユースの中継では決定的な差がある。それは試合の緊張感だ。リーグ戦とトーナメントでは違うに決まっている。国内リーグと国際試合ならなおさらだ。しかし、試合を見るファンの目が違うところを見ているわけではない。ひとつひとつのプレーに可能性と期待をもって見ているのだ。

 サッカーファンを増やそうと、試合をわかりやすく楽しく伝えようとするあまり、余計なおしゃべりを延々続けたり、演出が過剰になっているのではないか。放送の特徴を出そうとするあまり、解説者やゲストの個性に頼りすぎているのではないか。ともすると、試合の様子が実況者と解説者のおしゃべりの単なる背景になっていて、試合をまったくつまらないものにしている場合が少なくない。

 わたしたちファンはトークショーやバラエティーを見るためにチャンネルを合わせているわけではない。サッカーそのものが見たいのだ。サッカーは45分間ずつの前後半、目を離すことのできないスポーツだ。チェンジもなければ、タイムアウトもない。そんなだれもが知っていることをテレビは理解していないように思える。

 サッカー中継の視聴率がよくないという理由で、制作者はいろいろ工夫するのだろうか。考えてみてほしい。どこのファンが解説者の名前でチャンネルを合わせるだろうか。サッカー中継でサッカーの試合の内容以外にファンを満足させるものはないのだ。

 だからどうかプレーする選手たちを信じて、サッカーというスポーツを信じて、ていねいに忠実に試合を追って放送してほしい。1試合1試合の積み重ねが多くの人のサッカーへの関心を高めることになり、ひとつひとつの小さなプレーを逃さず見せることが、思わぬ大きな感動をよぶこともあると思うのだ。

 ワールドユースの決勝戦は0-4という結果に終わった。前半開始早々に先制点を取られ、前半で0-3。そして後半が始まってすぐに4点目を取られるという展開になったが、「試合は終わった」とテレビを消して寝る気にはなれなかった。日本ユース代表は最後まで試合を捨てることなく攻め続け、遠藤の決定的なボレーシュートや本山のシュートを見せてくれた。20日間で7試合というハードな日程のなか、わたしたちにサッカーの楽しさを見せ続けてくれた日本ユース代表にありがとうといいたい。