2000年8月18日金曜日

第49回 貧血は克服できる


 お盆休みを利用して三重県伊勢市にある実家に帰った。伊勢市は伊勢神宮と赤福で有名な地方観光都市だ。と思っているのは、地元出身者だけのようで、東京では「どこ、それ?」、「赤福って、大阪の名物だよね」である。大学時代には「田舎に帰るの?」といわれて、ムッとしたものだ。東京の人には、東京以外はみんな田舎らしい。わたしにとって、田舎とは田園風景が広がる場所なのだが。

 しかし久しぶりに夏に帰ると、昼間の気温は東京と変わらないのに朝晩は気温が下がり過ごしやすい。虫の声を聞きながら眠り、せみの鳴き声で目覚める生活は、やはり「田舎」なのかもしれない。

「おっ、拒食児童がめし食ってる」
 朝からもりもり食べるわたしを見て、やはり横浜から来ていた20数年ぶりに会う従兄が不思議そうに言った。高校時代のわたしは、夏になるととたんに食欲が落ち、ごはんをひと粒ずつ口に運ぶような状態だったらしい。そういえば陸上部の練習の最中に倒れて病院に運ばれたこともあったっけ。

 考えてみると、夏に体重が落ちなくなったのは、ここ数年のことだ。それは、わたしの貧血とのつきあいの歴史と大きくかかわっていることに気づかされる。

 長い間、わたしは貧血を病気とは思っていなかった。一種のよくある体質くらいに考えていた。年に数回、練習のあと過呼吸になったり、帰りの駅のホームでめまいと過呼吸でうずくまったりしたが、どれも10数分でおさまった。帰って寝たら、翌日には何事もなかったように元気になっていた。

 10年ほど前、体調が徐々に悪くなるのを感じていた。最初は疲れがとれにくくなったと感じ、だんだん動悸や息切れがひどくなっていた。ちょうど30歳を過ぎたころだったので、まず年齢のせいだと思った。しかし、駅の階段を昇るのに肩で息をしているのはわたしだけで、お年寄りが平気な顔でわたしの横を昇っていく。さすがに変だと思い、これは深刻な循環器系の病気だと、ようやく病院に出かけた。

「いちどにこの数値になったら、意識を失っていますよ」
 極度の鉄欠乏性貧血でヘモグロビンの量がふつうの人の半分以下しかなかった。長い時間をかけて失われていったので、体が徐々に慣れてかろうじて生活ができていたのだろう。練習も試合もふつうにやっていたなんて、いま考えると信じられない。

 近所の医者に紹介されて、総合病院の「貧血の権威」といわれる医者の診察を受けた。原因を探るために、胃や腸の検査もした。わたしがスポーツとの因果関係を聞くと、「それはない」と断言した。原因はわからないまま、薬を3カ月も飲み続けると、もとどおり元気になった。

 しかし、4年前にまた兆候が表れた。こんどは年齢とも循環器系の病気とも思わなかった。当時、「スポーツ選手に多い貧血」というテーマの雑誌の記事(*)を読み、強く感じるものがあった。それには、トップアスリートの多くに貧血が認められること、そしてその原因について詳しく書かれていた。それは、ずっとわたしが知りたいと思っていたことだった。わたしは迷わずその記事を書いた医師を訪ねた。

「わたしはサッカー選手であるあなたをサポートします。いつでも相談にいらっしゃい」
 Jリーグのクラブをはじめ、大学のラグビー部、野球部、陸上部など多くのチームのドクターであり、有名なプロスポーツ選手のアドバイザーでもあるその先生は、最初の診察に訪れたわたしにそう言った。この出会いがわたしのなかに大きな変革をもたらした。

 検査の数値が低ければ、薬の力を借りるしかない。しかし、薬で正常値に戻した体を維持するのは、食事であり栄養だ。わたしは食事に対する態度をがらりと変えた。

 うちでとる唯一の食事である朝食に重きを置くようになった。ごはんを炊き、みそ汁の具になるべく多くの野菜を入れ、海苔、しらす、納豆を食べる。それにオレンジジュースだ。昼食、夕食は弁当や外食だが、かぼちゃやブロッコリーを意識的にとるようにし、ビタミン剤なども補給する。練習後はすぐにオレンジジュースやアミノ酸をとり、疲れをなるべく残さないように気をつけている。

 気がついてみると、ここ数年体重は安定し、夏バテ知らずだ。定期的に貧血の検査も受けているが、数値に変化はない。この7月に行われた大会でも、真昼の炎天下の試合が続いたが、暑さでまいるということはなかった。

 わたしは気がつくのが遅かったので、長い間貧血とつきあわなければならなかった。その間にもっとサッカーがうまくなれたのにと思うとくやしい。貧血はつきあうものではなく、克服すべきものだ。しっかり取り組めば、必ず克服できる。そして、克服してしまえばサッカーがより楽しくできるのだ。

 若い選手には、できるだけ早く医者に行って検査することを勧めている。そして食事がいかに大事であるかということも、ことあるごとに伝えている。なかなか、みんながみんな自分のこととして受け入れてくれないのが残念でならないのだが。

 東京は残暑がきびしい。虫の声を聞きながら眠ることもかなわない。しかし、わたしはきょうも気持ちよく目覚め、汗をかきながら納豆をねり、元気のみなもとである朝食の準備をするのだ。


*ベースボール・マガジン社「サッカークリニック」1994年11月号から1996年6月号まで連載された「勝つためのスポーツ医学・栄養学」より、1996年4月号連載18「スポーツ選手に多い貧血」。