ゴールデンウィークを境に季節は春から初夏へと移る。
5月の連休は、長野県の菅平高原で行われる大会に出場するのが最近の恒例行事となっている。ことしは5月2日から4日までの3日間を菅平で過ごした。
「サッカーマガジン」が主催するこの大会はことしで第12回を迎えた。ほかにも夏休みなどを利用して河口湖、苗場、草津温泉でいろいろな大会が開催されているが、いちばん歴史が古いのがこの大会だろう。
今大会の競技委員長で、長い間サッカーマガジンの編集長だった(いまはもっとえらい役職らしい)千野さんと話をする機会があり、昔話に花が咲いた。サッカーマガジンは女子サッカーにきちんとページを割いて取り上げてくれる雑誌で、とくに草創期の女子サッカー担当だった千野さんはだれよりも理解があった。20年前のわたしのプレーを知る数少ない生き証人のひとりでもある。
わたしのチームが初めて参加したのは、14年前にさかのぼる。まだ女子の大会として独立しておらず、男子の大会の付録のように、9月に行われていた。グラウンドは粘土質で、天気が悪く、どろんこサッカーのイメージだ。参加したのはわずか3チーム。長野の松本レディース、神奈川の相模原サッカークラブとわたしのチームだった。
3チームでは大会のレベルをどうこういう以前の問題だが、ダイヤモンドの原石のような選手もいた。当時14歳だった相模原の丹羽千里だ。高い技術とスピードをもつMFだった。その後、Lリーグのプリマハムや宝塚バニーズで活躍している。
大部由美もダイヤモンドの原石のひとりだ。89年に鳥取の米子コスモスの一員として14歳で参加し、才能が見いだされて、翌年には15歳で日興證券入りした。のちのLリーグや日本代表の活躍は周知のとおりだ。
いくら能力があっても、チームが全国レベルの大会に出場できなければ、なかなか存在を知られることはない。しかし、全国からだれでも参加できるこういう大会があれば、思いがけない才能を発見することもできる。
大会は1988年に正式に第1回サッカーマガジン・レディースカップとしてゴールデンウィークの開催になった。初期のころの優勝チームを見てみると、第1回上野くノ一(現在のプリマハム)、第2回読売ベレーザ(現在のNTVベレーザ)、第3回日興證券、となっている。全国リーグである日本リーグ(Lリーグ)が発足する1年前にこの大会が始まったこともあり、当時の全国レベルへの登竜門でもあったようだ。
その後、徐々にLリーグのチームは参加しなくなったが、チームは増え続け今大会の参加数は63。とくに第5回大会からはグラウンドが芝生になり、それも大きな魅力のひとつになっている。
そしていまや、半田悦子、弘中和子、山田千愛といった少し前まで日本代表として活躍していた選手たちが、監督やコーチとして大会に参加している。3日間で最大8試合という日程のきつさもあり、なかなかゆっくり旧交を温められないのが残念だが、そこには女子サッカーの成長の縮図が見える。わたしのように十年一日のごとく一選手であっても、なにかしら成長していると感じられるのだ。
ことしは偶然にも14年前に対戦した相模原SCと松本レディースのどちらとも試合をした。しかし、相手チームの年齢層が14年前とほとんど変わっていないのに驚いた。当時のメンバーはどうしているのだろう。いま30歳前後になったと思われる彼女たちは、チームの新旧の波に押し流されてしまったのだろうか。サッカーは、たとえ体力が下り坂になったとしても、1年1年の経験で成長していけるものだと思うのに。
新しい原石の発見は楽しい。そしてお互いの成長を確認しあうのはもっと楽しい。
来年はここ10年も全日本選手権から遠ざかっているわたしのチームから原石が発見されるかもしれない。そしてもし、わたしが来年もプレーし続けていることができたら、1年老けたわたしではなく、少しでも前進しているわたしを見せることができるようにがんばりたい。
5月の連休は、長野県の菅平高原で行われる大会に出場するのが最近の恒例行事となっている。ことしは5月2日から4日までの3日間を菅平で過ごした。
「サッカーマガジン」が主催するこの大会はことしで第12回を迎えた。ほかにも夏休みなどを利用して河口湖、苗場、草津温泉でいろいろな大会が開催されているが、いちばん歴史が古いのがこの大会だろう。
今大会の競技委員長で、長い間サッカーマガジンの編集長だった(いまはもっとえらい役職らしい)千野さんと話をする機会があり、昔話に花が咲いた。サッカーマガジンは女子サッカーにきちんとページを割いて取り上げてくれる雑誌で、とくに草創期の女子サッカー担当だった千野さんはだれよりも理解があった。20年前のわたしのプレーを知る数少ない生き証人のひとりでもある。
わたしのチームが初めて参加したのは、14年前にさかのぼる。まだ女子の大会として独立しておらず、男子の大会の付録のように、9月に行われていた。グラウンドは粘土質で、天気が悪く、どろんこサッカーのイメージだ。参加したのはわずか3チーム。長野の松本レディース、神奈川の相模原サッカークラブとわたしのチームだった。
3チームでは大会のレベルをどうこういう以前の問題だが、ダイヤモンドの原石のような選手もいた。当時14歳だった相模原の丹羽千里だ。高い技術とスピードをもつMFだった。その後、Lリーグのプリマハムや宝塚バニーズで活躍している。
大部由美もダイヤモンドの原石のひとりだ。89年に鳥取の米子コスモスの一員として14歳で参加し、才能が見いだされて、翌年には15歳で日興證券入りした。のちのLリーグや日本代表の活躍は周知のとおりだ。
いくら能力があっても、チームが全国レベルの大会に出場できなければ、なかなか存在を知られることはない。しかし、全国からだれでも参加できるこういう大会があれば、思いがけない才能を発見することもできる。
大会は1988年に正式に第1回サッカーマガジン・レディースカップとしてゴールデンウィークの開催になった。初期のころの優勝チームを見てみると、第1回上野くノ一(現在のプリマハム)、第2回読売ベレーザ(現在のNTVベレーザ)、第3回日興證券、となっている。全国リーグである日本リーグ(Lリーグ)が発足する1年前にこの大会が始まったこともあり、当時の全国レベルへの登竜門でもあったようだ。
その後、徐々にLリーグのチームは参加しなくなったが、チームは増え続け今大会の参加数は63。とくに第5回大会からはグラウンドが芝生になり、それも大きな魅力のひとつになっている。
そしていまや、半田悦子、弘中和子、山田千愛といった少し前まで日本代表として活躍していた選手たちが、監督やコーチとして大会に参加している。3日間で最大8試合という日程のきつさもあり、なかなかゆっくり旧交を温められないのが残念だが、そこには女子サッカーの成長の縮図が見える。わたしのように十年一日のごとく一選手であっても、なにかしら成長していると感じられるのだ。
ことしは偶然にも14年前に対戦した相模原SCと松本レディースのどちらとも試合をした。しかし、相手チームの年齢層が14年前とほとんど変わっていないのに驚いた。当時のメンバーはどうしているのだろう。いま30歳前後になったと思われる彼女たちは、チームの新旧の波に押し流されてしまったのだろうか。サッカーは、たとえ体力が下り坂になったとしても、1年1年の経験で成長していけるものだと思うのに。
新しい原石の発見は楽しい。そしてお互いの成長を確認しあうのはもっと楽しい。
来年はここ10年も全日本選手権から遠ざかっているわたしのチームから原石が発見されるかもしれない。そしてもし、わたしが来年もプレーし続けていることができたら、1年老けたわたしではなく、少しでも前進しているわたしを見せることができるようにがんばりたい。