1999年3月12日金曜日

第18回 気分はそろそろ2002年

18
気分はそろそろ2002


 3月6日は99年Jリーグの開幕だ。
 このシーズンオフには、フリューゲルスがマリノスへ吸収合併されたことやベルマーレやヴェルディが主力選手を大量に放出したことによって、多くの選手が移籍した。ジョルジーニョやドゥンガといったチームの柱である選手も帰国した。大幅な戦力ダウンになったチーム、いい補強をしたチームとさまざまだ。

 呂比須、山口、楢崎といった代表クラスの選手を補強したグランパスや合併したFマリノスが、計算どおり強くなるのか。それとも、いままで出る機会のなかった若い選手たちのなかから金の卵が出てくるのか。

 各チームのキャンプ地から、プロ野球のように毎晩テレビニュースで「キャンプ情報」が流れてくれば、開幕に向けてもっと盛り上がると思うのに。

 「歓迎W杯外国チーム キャンプ地に名乗り続々」
 先日の朝日新聞の夕刊のトップ記事だ。2002年ワールドカップで出場チームが大会前や期間中にトレーニングするキャンプ地を日本組織委員会(JAWOC)が募集したところ、名乗りをあげる自治体が相次いでいるというものだ。

 わたしの体内にあるワールドカップ時計は、もちろん4年周期である。基本的には本大会で全財産を使い果たし、次の大会までひたすら働いてお金を貯める。精神的には最初の2年は前大会の余韻を楽しみながら過ごし、あとの2年は各国の予選の状況などを見ながら次の大会に思いをめぐらせるというものだ。1982年からずっとそうやってきた。

 しかし、フランス大会から7カ月しか経っていないというのに、心はもう2002年だ。自国開催の場合はキャンプ地の吟味から始まるのだ。

 JAWOCは1月19日に募集を始め、これから100以上の候補地をリストアップしていくそうで、まだまだ先の長い話なのだが、名乗りをあげそうな主な自治体として新聞に掲載されている市や町を見ているだけで、わたしはわくわくしてくる。

 もしかしたら、2、3試合しかやらない開催都市よりも1チームが20日以上滞在するであろうキャンプ地のほうが、より「ワールドカップ」を体験できるかもしれない。大きなスタジアムをつくる必要がなく、2面以上の芝のグラウンドと雨天練習場とある程度の宿泊施設でよいのだ。そしてそこはサッカー・キャンプのメッカになり、次々と日本国中のサッカー選手が合宿に訪れるようになる。

 2002年にはぜったいにキャンプ地を訪れたい。いままではキャンプ地に行くなんて考えもしなかった。限られた滞在期間でできるだけ多くの試合をみるためには、そんな余裕はなかったのだ。

 フランス大会では18日間の滞在で14試合を見た。パリを拠点として、TGVで片道5時間の日帰りの旅を毎日繰り返したのだ。試合が行われた都市を追ってみると、トゥールーズ、マルセイユ、ナント、パリ、パリ、ナント、ランス、パリ、リヨン、パリ、リヨン、パリ、モンペリエ、サンテチエンヌ。最後のモンペリエ-サンテチエンヌを除くとすべて日帰りだ。かなりハードなスケジュールだがこれもワールドカップの楽しみのひとつだ。

 これを日本に置き換えると思わず笑みがもれてくる。まず、拠点が東京の自分のうちだということ。札幌と大分だけ飛行機を使えば、どれも片道5時間なんてかからない。もちろん大会期間中は毎日どん欲に試合を見る。韓国にだって行ってしまう。

 キャンプ地めぐりはゆっくりと開幕前にするのだ。お気に入りの国にしぼって、余裕をもって訪れる。それはもしかしたら、日本代表の敵情視察になるかもしれない。ああ、なんてしあわせな日々。

 これから3年間というもの、新聞の切り抜きひとつで一瞬のうちに2002年に飛んでしまうのだろう。

 もちろん、Jリーグの開幕は日常的、現実的な喜びとして受け入れている。今シーズンからようやくわが町のクラブ、FC東京がJ2に登場した。ことしからはJ1のトップ争いにも興味をもちつつ、わがチームをサポートしていこう。そして、2002年にFC東京から代表選手がひとりでも出ていたらすばらしいと思う。

 あっ、また心が2002年に飛んでいく。