1998年10月16日金曜日

第10回 ケイが残していったもの


 ケイから手紙がきた。新しい仕事が見つかり、引っ越したらしい。
 ケイというのは、わたしのチームに昨シーズンまで所属したアメリカ人選手だ。ことしの1月に帰国した。

 わたしのチームは東京都女子リーグ1部に所属している。スポンサーはいないし、グラウンドもない、選手の部費によって100パーセント運営されているまったくのクラブチームだ。サッカーがやりたい人はだれでもはいれる。年齢も国籍も経験も問わない。現在、中学3年生から41歳まで(平均年齢24.5歳)の協会登録会員28人と休会員24人(平均年齢33.1歳)で構成されている。練習は週1~3回。日曜日は試合という活動だ。

 どこにでもある普通のチームのようだが、こういうだれでもはいれるチームというのがなかなか希少価値なのだ。というわけかどうか知らないが、いままで何人もの外国人選手を受け入れてきた。

 最初の外国人選手のアノーラは陽気なアメリカ人でいつも楽しそうにサッカーをした。まるまる1年間滞在し、リーグ戦をともに戦い“Go, fight, win!”という合言葉を残していった。ビッキー(アメリカ)は英語の教師。エミリー(アメリカ)は父親の仕事で数カ月滞在した高校生。マーは中国系カナダ人。そしてケイ。

 ほとんどが数カ月から長くて1年くらいしか日本に滞在しない。しかも日本語は話せない。それでも彼女らはチームの一員として練習や試合をし、何かを残していった。

 そんななかでもケイは特別だった。93年の夏、来日。1年半の予定で東京の大学に留学し、最初は大学のチームに登録した。ポジションはGK。より高いレベルでやりたいと最後の数カ月を過ごすために94年の秋、わたしのチームに移籍してきた。

 1年間の大学生活で、日本語は不自由なく話せるし、練習も熱心に通ってきたので、あっという間にチームにとけ込み、なくてはならない存在になった。

 チーム一丸となってシーズン最大の目標である全国選手権出場の第一歩である東京選手権を戦ったが、あとひとつ勝てば東京を突破という試合を0-1で落としてしまった。最大の目標を失うのだから、チーム全員が落ち込んだが、なかでもケイの落ち込みようはひどかった。「自分のせいで負けた」と大きな体を小さく折り曲げて泣き続けた。こんな気持ちでは帰れないと次のシーズンも日本に残ることを決めてしまった。

 むずかしい就職問題も自分で解決して、仕事を見つけてきた。結局、3シーズン半を過ごし、ことしの1月に帰っていった。

 ケイは大きな体と金髪という身体的な特徴だけでなく、その存在感でどこに行っても人気者だった。東京都リーグで知らない人はいなかったし、毎年出場した菅平の大会でも有名で、その名は全国に知られていた。チームにおいては、大きな声とファイティング・スピリットあふれるプレーでチームメートを勇気づけた。

 ケイがチームに残していったものはたくさんあるが、なによりサッカーによって、国境も国籍もまったく感じなくなる、ただのチームメートになれるということを教えてくれたように思う。

 今月のはじめに、新たにスウェーデン人のアナがチームに加わった。初めてのスウェーデン人を迎えるが、別に何の不安もない。ただ、新しいチームメートを迎えたに過ぎないからだ。