1999年10月22日金曜日

第34回 大きな声を出そう


 自転車通勤は楽しい。世田谷にある自宅から渋谷の仕事場まで、わずか20分弱の道のりだが、坂道がトレーニングにもなるし、季節の移り変わりを肌で感じられる。秋のおとずれはキンモクセイの香りが知らせてくれたというのに、ことしは夏が長かったせいだろうか、もう11月になろうというのにトランペットフラワーの木にたわわに花が咲いている。

 しかし、東京の道は自転車乗りにとってはつらいことも多い。東京では自転車は歩道を走らなければならないことになっている。ほとんどの歩道は狭く、人ひとりがやっと通れるといったところも少なくない。そこを歩行者と自転車が共存しなければならないのだ。

 最近の道ゆく人たちは、ひとりの場合はヘッドホンステレオを聞きながらとか、携帯電話で話しをしながら歩く人が多い。おまけに前を向かず伏し目がちに歩く。複数の場合は、道いっぱいに広がって歩き、おしゃべりに夢中になっている。自分たちの世界にはいっていて、自転車が近づいてもいっこうに気配を感じとってくれない。仕方がないので「すみません、通してください」と声をかける。声が小さいと聞こえないし、かといって近くに寄りすぎて大きな声を出すとびっくりされる。声をかけるタイミングはけっこうむずかしい。

 先週の日曜日、わたしのチームは練習試合をした。圧倒的にボールを支配し攻めていたが、DFとGKのちょっとした連係ミスから相手FWにボールを奪われ、思わぬ失点を喫した。GKがはっきり声を出してボールをけっていれば何の問題もない場面だった。この日、わたしたちは「声を出す」ことをテーマに試合に臨んでいた。練習試合の勝敗や失点はチャレンジした結果ならばいちいち気に病む必要はないが、テーマとしていたことができずに失点につながったことは大きな問題だった。

 夏以来ずっと、わたしのチームは「声を出す」ことをテーマに練習してきた。一言で「声を出す」といっても簡単なことではない。まず、パスを交換する練習のときに受け手が出し手の名前を大きな声で呼ぶことから始めた。「大きな声」という点で最初は半数の選手が不合格だった。声を出すこと自体に意味はない、相手に聞こえてはじめて意思が伝わる。そのために「大きな声」が必要なのだ。

 つぎは、「いつ声を出すか」だ。センタリングを受けるときやオーバーラップをかけるときはタイミングを合わせるための声が必要だ。逆を向かせたいときは、はやめに声を出さなければならない。受け手に余裕があれば「フリー」という声をかけてやる。いろいろな状況を想定した練習を重ねることで、どのタイミングで声を出すかを知ることができる。

 しかし、もっとも大事なのは一人ひとりの判断だ。試合のなかでは百の場面で百通りの判断をしなければならない。サッカーは一瞬の判断の積み重ねのスポーツだ。目で見えるもの、耳からはいってくるチームメートの声や足音、それらすべての情報から的確な判断が生まれるのだ。そして、ひとつひとつの判断がまた意思をもった声を出させるのだ。

 ピッチのなかで孤独になってはいけない。自分の世界にはいりこんではいけない。一人ひとりが意思のある声を出し続け、一部のリーダーシップに導かれるのでなく、11人の声がひとつのチームの意志となってゴールに向かうことになれば、こんなすばらしいことはない。

 チャレンジしなかった練習試合を反省しよう。やろうとしなければ何も始まらない。つぎは大事な公式戦だが、失敗を恐れず勇気をもって、11人のなかのひとりとして「声」を出し続け、チームを勝利へと導きたいと思う。

 「すみませ~ん、通りま~す」
 思いっきり感じのいい声を出しながら、秋晴れの旧山手通りのせまい歩道を、自慢のマウンテンバイクで走っている。