1999年4月9日金曜日

第21回 インサイドキックしてみよう

 ナイジェリアでワールドユースが開催されている。
 選手は対戦相手だけでなく、暑さや伝染病の恐怖とも戦わなくてはならなくてたいへんな状況だが、わたしたちファンも午前3時キックオフというのはかなりこたえる。いちど寝て、午前3時に起きて、5時からまた寝るという変則的睡眠不足だ。そうはいっても、代表の試合は生中継で見て応援しないと話にならない。

 ユース世代の各国のレベルはよく知らないが、カメルーン、アメリカ、イングランドといえば強豪のイメージだ。その相手に日本は堂々とした戦いぶりを見せている。睡眠不足も気にならないくらいだ。

 チーム全体でパスをつなぎ、試合を支配し、選手一人ひとりが相手に臆することなく、自信をもってプレーしている。「史上最強」の日本ユース代表なのだから、別にいま驚くことではないのかもしれない。しかしわたしは、本山や酒井のクロス、小野のパス、ひとつひとつのキックそのものに感動してしまうのだ。あんなキックができたらサッカーがいちだんと楽しいに違いない。

 23年前の桜の咲く頃、新入部員として練習に参加して、初めて先輩に教えてもらったのはインサイドキックだった。その前から遊びでボールをけったことはあったが、それはトウキックともインステップキックともいえぬただ足を振り回すだけのものだった。

 けり方はとてもむずかしかったが、パスはこうしてけるのだと教えられ、妙に感動したのを覚えている。「サッカーとはつまり、パスをつないでいくゲームなのだ」。わたしは単にボールをけって走るスポーツだと思っていたのだ。

 それからというもの、わたしはインサイドキックの練習にひたすら取り組んだ。けり足の足首は90度に固定し、立ち足とけり足の足先を90度にしボールをけり、そのまま押し出す。その動作はとても不自然でなかなかスムーズにできなかった。これは体に覚え込ませるしかないと思い、わたしは人目も気にせずいたるところでインサイドキックの素振りに明け暮れた。まるで「ゴルフおじさん」のように電車を待つホームで、ときにはひとりで乗るエレベーターの中で素振りをしていたところ、急にドアがあいて目の前にいる人にびっくりされたりもした。

 恥ずかしい思いは何度もしたが、思ったところにボールがけれるようになるとサッカーが俄然おもしろくなった。当時の女子サッカーはグラウンドの広さが半分だったので、インサイドキックがけれるだけで、かなり「できる気分」になれたのだ。

 その後、読売クラブが日本サッカーに旋風を巻き起こすと「インサイドキックよりアウトサイドキック」という風潮になった。動作の大きいインサイドキックは相手に読まれやすく、走っている動作から自然にけれるアウトサイドキックのほうが有効だというのだ。なるほどと思い練習すると、短い距離のパスは意外と簡単にできた。こんどは素振りというよりはプレーのなかで身につけていった。
 新しいキックをひとつ身につけると、できるプレーも増えていく。

 不思議なもので、いっしょにサッカーを始めた仲間でもわたしほどインサイドキックに執着した者はいなかった。ドリブル、フェイント、遠くまでボールをけることなど、それぞれ興味の対象は違っていた。いま思えば、プレースタイルの原点となっているようでおもしろい。

 最近は、戦術やプレーのコンビネーションなどに関心がいきがちで、ひとつのキックに情熱をかたむけて練習することがなくなっていた。小野のキックは誰にでもできるものではないが、自分のサッカーをひとまわり広げてくれる夢を与えてくれるものだ。久しぶりに「ニュー・キック」に挑戦してみたくなった。