2014年7月2日水曜日

ワールドカップの楽しみは人との出会いにある


 ブラジリアからリオデジャネイロへの移動の飛行機で日本人男性と隣り合わせた。ワールドカップ期間中の飛行機で日本人の隣りに座ることは意外に少ない。

話し好きの楽しい人で、時間を忘れて話し込んだ。

今回は13試合を観戦するという。3週間で13試合! 私はブラジルのワールドカップ観戦は1日おきがせいぜいだと書いた。それは簡単に覆された。試合後、夜中の飛行機で移動、翌日の試合を見て、また夜中の飛行機で移動ということを繰り返しているのだという。そう、夜中発の飛行機は多い。実際、私も午前3時や4時の飛行機で移動している。ただ、大きな荷物を抱えての移動は大変で、いったんホテルに入って荷物を預けないとスタジアムには行けない。それをうまく2〜3日の荷物を持って移動できるようにスケジュールを組んでいる。試合のチケットを13試合取ることから始まって、このワールドカップに対する並々ならぬ意気込みを感じた。

「サラリーマンで、よく3週間も休暇が取れましたね」
「なんとなくうまく仕事も絡めたんです。『出張費はいらない! でも3週間行かせてくれ!』 夜中に仕事の電話かかってきますけど、それくらい何でもないです」
「家族の理解も必要ですよね」
ちょっと顔が曇った。
「そうなんですよね〜。きのうは息子の誕生日だったんです。電話したんですけどね〜。なんかちょっとそっけなかったです。帰ったら、コミュニケーションとらなきゃ!」

息子さんは12歳。そう、2002年6月26日生まれ。日韓ワールドカップの真っ最中だ。当然、父はワールドカップのことが気になって仕方がない。予定日が近いというのに、北海道にイングランドーアルゼンチン戦も見に行ってしまった。

「いや、出産には立ち会ったんですよ! 産んだのを見届けてから『すまん』のひと言を残してワールドカップに戻ってしまったんですけどね」

そんな父の反動なのかどうかわからないが、息子はサッカーではなく野球に夢中になった。           

「がんばり屋なんですよ〜。2010年にぼくはインドに赴任したんですけど、家族も連れてっちゃったんですよね。その間に、息子のチームメートはどんどん野球がうまくなっちゃってね。日本に戻ってきたときに、ちょっと取り残されたみたいになったんですよ。でも、そこからがんばったんですよ〜。いまは4番打ってます!」

息子のことが自慢で仕方ない様子で、自分でサッカーをプレーするのはあきらめて息子の野球のコーチとして休日は一緒に過ごしている。

「野球は教えられるんですか?」
「いや、教えられないです。それは監督にまかせています。技術的なことはわからないので、気持ちをね、気持ちを伝えてます。『ここは気持ちだぞ〜、気持ちで打て!』ってね」

話が楽しく盛り上がっているときに、ふと我に返って話し始めた。

「じつは・・・。日本からサンパウロ空港に着いて、日本戦のレシフェへの乗り継ぎでサンパウロ空港で時間があったんです。ニューヨーク経由でようやくサンパウロに着いたので、ちょっと気が抜けてたんです。寝ちゃったんですよ。ワキに書類入れを置いて・・・。ふっと目が覚めたら、書類入れがないんです。パスポートが入ってたんです・・・」

これからレシフェへの便に乗るのにパスポートがなければ当然乗ることはできない。ここまで来て日本の初戦を見ることができないなんて考えられない。

まっ青になってTAMのカウンターに急いだ。職員に事情を説明する。もちろんポルトガル語はできない。日本語で必死に説明する。

「いまここでパスポートを盗まれました。レシフェで日本戦があるんです。そのためにブラジルに来たんです。どうか乗せてください」

もちろん、職員は目の前にいる男性がパスポートをなくして、でもこの便に乗りたいということを懇願していることは理解している。でも、できないものはできない! ノーというしかないのだ。

「ぼく、そこで土下座したんです。それしか気持ちを伝える方法がなかったんです」

職員は困って警官を呼んできた。警官も最初はできないと言っていたが、目の前の男性があまりに必死に訴えるので、その姿に打たれたのかあきれたのか・・・。

「『しょうがないから乗せてやれ』って言ってくれたんですよ。気持ちが伝わったんだと思います!」

レシフェに無事到着したあとは、日本人のトラブルに備えて空港に待機していた日本大使館カウンターに行き、事情を説明した。そこからはスムーズだった。持ってきていたパスポートのコピー、戸籍謄本を提示するとものの1時間でパスポートが再発行された。

「きのうからあなたで12人目です・・・」

でも、パスポートを持たないで飛行機に乗った人はほかにいないだろう。

私はブラジルに来てから、こわい思いも危険な経験もしたことがない。報道で言われていた空港での盗難事件も人ごとだった。初めて、実際被害に遭った人に出会った。

でも、その人からは「ブラジルってこわいところですよね」なんて言葉はひと言も聞かれなかった。

「いや、自分がいけないんです。気が抜けていました。そのあとは、しっかり荷物の管理をしています」

「サンパウロ土下座事件は一生忘れません。強い気持ちと元気さえあれば何でもできる。猪木の気持ちわかりました!」

「猪木の気持ち」を私はよく知らないけれど、そのあとブラジル人やたくさんの人との交流の写真をうれしそうに見せてくれた。しかも、私がリオの試合のチケットがないと知ると、友人のツテを頼っていろいろ探してくれた。

試合当日の明け方メールがはいった。

「この人がチケットを持っているという情報を得ました。連絡先はここです。連絡してみてはどうですか」

こんな時間に連絡をとっていてくれたことに感動した。結局は、その人はすでに帰国の途についていて、チケットは譲り受けることはできなかったけれど、単に飛行機で隣り合わせた人間のために、ここまで親切にしてくれることに心を打たれた。こういう人柄だからこそ多くの人の心を動かしたのだろう。

そろそろ彼のワールドカップも終わりに近づいている。

帰りの経由地のニューヨークの空港で、息子のためにヤンキースのユニホームが買えることを心から祈っている。


プロフィール

大原智子(おおはら・ともこ)
三重県伊勢市出身。1976年大学入学と同時にサッカーを始め、卒業後はクラブチームFCPAFを創設した。76年からチキンフットボールリーグ、81年にスタートした東京都女子リーグでプレーし、現在もFCPAFで現役。81年から84年まで日本代表。ポジションはMFだが、日本代表ではDF。クラブでも、チームの必要に応じてFW、DFでもプレーした。選手活動のかたわら、ワールドカップは82年スペイン大会、86年メキシコ大会、90年イタリア大会、94年アメリカ大会、98年フランス大会、02年日本/韓国大会、06年ドイツ大会、10年南アフリカ大会、8大会を観戦している。
著書 『がんばれ、女子サッカー』共著 岩波アクティブ新書
・フリーランス・エディター/ライター
・ハーモニー体操プログラム正指導員、ハーモニー体操エンジンプログラマー