2014年7月8日火曜日

笑顔に勝るものはない!


目を開けると「ここはどこ? わたしはだ〜れ?」状態が続いている。

帰国して5日。目が覚めたときに、飛行機の中なのか、サンパウロのホテルなのか、朝なのか、夜なのかもわからず、1分間くらい頭のなかでぐるぐる考える。

午前1時と5時キックオフの準々決勝は、ブラジル時間で生活するしかないと思えたが、昼間は昼間で日本時間の生活があるのだ。ようやく準決勝、午前5時キックオフになり、平常の生活へと戻っていけるのだろうか・・・。

日本に帰ってからも、ブラジルの日々がなつかしく思い出される。

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クイアバの空港に着いたのは、6月22日午前11:1024日のコロンビア戦を前に、1泊2日の北パンタナールへの旅を企画していた。

ワールドカップ期間中は、各会場都市のホテル、国内移動の飛行機、どれもワールドカップ料金で目が飛び出るくらい高いものだった。この北パンタナールツアーも例外ではない。ガイドブックに書かれている現地旅行代理店にメールをしても返事がない。知り合いのツテを頼って、日本在住のコーディネーターの方を通じて、現地代理店にコンタクトをとってもらって、ようやく実現することになったが・・・。

「ワールドカップ期間中は、ホテル代もチャーターする車もドライバーもガイドも、どれも値段が高騰しています。日本人ガイドも足りていません。ですが、ようやく手配できました!」

クイアバの空港で荷物が出てくるのを待って、外にでると、ガイドと思われる日系人男性が私の名前を書いた紙を持って待っていてくれた。

「ぼくはフェリペです。お腹すいた? 大丈夫?」

大きなスーツケースを転がし、リュックを背負っている私と友人にはまったく気にかけずさっさと先を歩くフェリペ。レストランでも、ブラジル特有のビュッフェスタイル(取った料理を計りにかけて料金を支払うというもの)だったのだが、説明もせず先に自分の料理を取って食べ始める。

聞くと、ガイドは初めてだという。運転手のアシ(足だね、まさに・・・)は、この道20年のベテラン。いろいろ話してくれているが、フェリペはうんうんと楽しそうにうなずき、私たちに訳するのは、ひと言ふた言程度。こりゃダメじゃない? フェリペは悪びれる様子もなく、自分の話を楽しそうにしている。

「日本には4年くらい住んでたんだよ〜。甲府にいたよ。三重にもいたよ。四国にもいたよ〜。仕事でね。日本好きよ。臭い豆なんだっけ? そう、納豆も好きよ〜。日本語の名前? あるよ〜。でも恥ずかしいね。『サトミ』っていうんだよ。女の名前ね〜。ブラジルにいたときは知らなかったね。日本で『サトミ』っていう名前って言ったら笑われたよ〜」

ワールドカップで日系人ガイドが足りなくなったので、こりゃバイトだな。やれやれ・・・。


パンタナールまでの3時間のドライブで、アシはしゃべりまくっていたが、フェリペはなるほどという顔で聞いているだけ。途中からは、アシが窓の外の景色を指さして、鳥の名前や動物の名前を言い始めた。

フェリペはそれを繰り返すように私たちに伝えた。あとは「写真撮りたい?」って聞いた。

それでも、私たちは窓の外に夢中だった。果てしなく続く湿原、ワニやカピバラ、たくさんの鳥たち。

「写真撮りたいから、停めて!」
「『停めて!』はポルトガル語では『パリ!』だよ〜」
とフェリペ。
こっちがポルトガル語覚えるしかないか・・・。

宿に着いたら夕食の前にサンセットを見るボートツアーのはずだった。

「きょう、ホテルに着くの遅くなったから、またあしたね〜!」
「はぁっ!? ツアー料金の中にはサンセットツアーが含まれてるでしょ。まだ陽は沈んでいないし・・・」
「でもね、もう遅いからさ」

フェリペと私たちのやりとりを聞いていたアシがボートと漕ぎ手を連れて来た。
「イキマショ〜。ハヤク、イキマショ〜!」
アシが交渉してくれたのだ。

ボートから見る鳥の群れや夕陽は本当に美しかった。4年前の南アフリカではサバンナの夕焼けに感動したが、同じような景色にアフリカとブラジルのつながりを感じさせられた。



アシは、ずっと「Muito bonito!(とても美しい)」と言い続けていた。

夕食をいっしょにした後、ナイトサファリに出かけた。動物たちは目だけが異様に光っていた。

「ヒョウが来るよ〜」
フェリペはどこまでもおどけていた。

「あしたの朝は、朝日見るから5時半ね〜」

ノーテンキにそう言ってフェリペは部屋に消えた。

翌朝、5時半に部屋の外に出てもフェリペはいなかった。食堂では朝食の準備が始まっていた。徐々に、外が明るくなっている気がした。15分待っても起きてこなかった。フェリペの部屋はわからない。宿の女主人に「ガイドが起きてこないんだけど・・・」と言ったら、起こしに行ってくれた。

眠そうに目をこすりながら、フェリペとアシが部屋から出てきた。

「陽がのぼっちゃうよ!」
「大丈夫よ〜。心配ないよ〜」

まったく・・・。

10メートルはあるであろうヤグラに登った。雲が出ていたので、すっきりとした朝日は見れなかったけれど、空が徐々に白み始めて360度平原が広がっていった。


自分が本当にちっぽけだなと思った。隣りに立っているフェリペはでっかいカラダをしているけれど、やっぱりちっぽけなのだ。

フェリペの笑顔がとても愛おしく思えた。

朝食後、宿の周りを散策した。フェリペは私たちと同じレベルでパンタナールの自然を楽しんでいた。

「ヒョウの足跡だぞ〜」「猿だ、猿っ!!」
私たちはキャッキャ、キャッキャと笑いながら、パンタナールの景色のなかに溶け込んだ。


帰りの車の中で、フェリペは
「もっとたくさん見るところあるよ〜。クイアバから1時間もしないところに、すごくいいところあるよ〜」

明日の試合後、友人が帰国し、私は試合の翌日にクイアバを出る飛行機の便が取れなかったために、ひとりクイアバで過ごさなければならなかった。

「フェリペ〜、あさって、そのきれいなところ行きたい! もう仕事はいってる?」
「大丈夫だよ〜、行けるよ。会社に帰って、決めてくるよ〜」

そうして、翌々日、クイアバに残っていた友人3人を誘って、ギマランエス高原へのツアーにでかけた。

友人たちには「えせガイド、にわかドライバーのフェリペです。でも気のいい兄ちゃんです〜」って紹介した。その道中は笑いが絶えないとても楽しいものになった。

私はタイトルの写真のように、フェリペの手のひらの上で北パンタナール、ギマランエスの3日間を思い切り楽しんだ(私が見えるかな〜?)。

笑顔に勝るものはないのだ!!


チャオ! フェリペ!! 楽しかったよ!

プロフィール

大原智子(おおはら・ともこ)
三重県伊勢市出身。1976年大学入学と同時にサッカーを始め、卒業後はクラブチームFCPAFを創設した。76年からチキンフットボールリーグ、81年にスタートした東京都女子リーグでプレーし、現在もFCPAFで現役。81年から84年まで日本代表。ポジションはMFだが、日本代表ではDF。クラブでも、チームの必要に応じてFW、DFでもプレーした。選手活動のかたわら、ワールドカップは82年スペイン大会、86年メキシコ大会、90年イタリア大会、94年アメリカ大会、98年フランス大会、02年日本/韓国大会、06年ドイツ大会、10年南アフリカ大会、8大会を観戦している。
著書 『がんばれ、女子サッカー』共著 岩波アクティブ新書
・フリーランス・エディター/ライター

・ハーモニー体操プログラム正指導員、ハーモニー体操エンジンプログラマー