1999年3月26日金曜日

第20回 新しいユニホームは気持ちいい

  この週末はお彼岸の3連休だというのにさんざんな天気だった。冬に戻ったような寒さに加えて冷たい雨が降り、連休最終日は晴れたものの、一日中とんでもない強風に見舞われた。

 わたしのチームは、関東1都5県から13チームが参加するプレシーズンマッチとでもいうべき大会に出場した。この日に合わせて新しいユニホームができあがっていた。それなのになんという天気だ。

 悪条件のなかのデビューだったが、やはり新しいユニホームはうれしい。気持ちがきりりと引き締まる思いがするし、なんといっても今季はいった新しいチームメートとの一体感が得られる。このチームでやっていくぞという新たな闘志がみなぎってくる。

 わたしが初めてユニホームをつくったのは、23年前にさかのぼる。女子のチームがまだ少なくて、どこもチームができて間もないころだ。わたしたちはどんなものを着ていいのかわからなかった。とくにサッカーパンツは悩みの種だった。男子がはいているようなものは、足を振り上げたときに下着が見えてしまうのではないかと心配したのだ。わたしたちはバスケットパンツといわれるジャージー素材のぴたっと体に合ったパンツを選んだ。ブルマーやテニスのスコートをはいているチームもあった。

 ほかの競技を見回すとバレーボール、バスケット、ホッケー、テニスなどは、男子と女子が、同じ競技でありながら必ずしもまったく同じユニホームを着ているわけではない。そう考えるとあながち変な迷いや悩みでもなかったのかもしれない。暗中模索の時代だったのだ。それでも2、3年でだいたい男子と同じような格好になった。

 わたしのチームは最初の8年間はまったく同じユニホームを着続けた。有名メーカーのものではなくて、定番のユニホームだ。シャツもパンツも綿素材で、色があせたり、首や手首のまわりが伸びたりしたが、十分着られた。毎年数人ずつメンバーが入れ替わるクラブチームでは、毎年変わらぬデザインのユニホームが必要なのだ。80年代は全体的にそういう時代だったと思う。しかし、80年代の終わりから90年代にかけて、ユニホームというものが素材、デザインともに画期的に変わっていった。

 ヨーロッパ各国の代表チームはワールドカップと欧州選手権のたびにユニホームのデザインを変えるようになった。それは、ユニホームメーカーが2年ごとに新しいデザインを出して、古いモデルは次々と生産中止することを意味していた。

 それでもわたしのチームは89年から93年までの5年間はやはり定番の2代目のユニホームを着続けた。しかし、体にぴったりしたシャツやパンツのデザインがどうしても古くさくなってしまって、ついに有名メーカーの最新モデルに手を出した。そして、その後の5年間で3回もユニホームを替えるはめになっている。新しくメンバーがはいったとき、追加してユニホームをつくろうとするとすでにメーカーは生産を中止し、どこの店にも売っていないという事態になってしまうのだ。

 外国の代表チームやクラブチーム、Jリーグなどの選手が毎年新しいデザインでかっこいいユニホームを着て登場するのはファンとしてはとても楽しみだ。しかし、何から何まで自分たちのお金で運営しているわたしたちのような町のクラブチームの選手が同じようにできるわけがない。

 ユニホームはとても大切なものだ。試合するふたつのチームを単に区別するだけでなく、チームそのものを表すものだと思う。毎年新品でなくても、上から下まできちんと全員がそろっていることが、なにより必要なことなのだ。

 2年ごとに新しいデザインのユニホームを出すのはけっこうだ。しかし、チーム単位で売ろうというのなら、少なくとも5年間は続けて同じモデルを供給できる体制をつくってもらいたいと思う。ユニホームメーカーはチームを食い物にするのでなく、「サポート」する立場のはずと思うからだ。

第19回 プールで歩き、春を待つ

 冬眠していた虫や動物たちが眠りから覚める季節になった。
 東京の3月は名残り雪が降ったり、強風が吹いて砂嵐が舞ったりしながらも、日に日に強くなっていく日差しが春のおとずれを感じさせてくれる。

 ケガをもっている選手にとって、冬は長くつらい季節だ。ウォーミングアップの時間を人の倍はかけなければならないし、寒さ自体が痛みの大きな原因のひとつであるように思える。試合や練習後のアイシングは肌が凍傷になるのではないかと心配になるほどだ。

 それでもオフの練習やトレーニングを辛抱強くやっていれば、3月の暖かいある日の練習で、こわがらずにのびのびとキックができたり、走ったときの体の軽さを感じることができる。それが、わたしの春の到来なのだ。

 昨シーズンの中盤から、わたしの筋肉はずっとトラブルに悩まされていた。ジャンプすると背筋がつったようになったり、強いキックをするために思い切り足を振り抜くとももの前や後ろに違和感を感じた。鍼や最新式の電気治療を試したがほとんど効果はなかった。

 オフになるとプールに通い始めた。マシントレーニングではかえって筋肉を固くするように思えたからだ。大腿二頭筋や大腿四頭筋、腹直筋や広背筋などをマシンで鍛える方法はどのトレーニング書にも載っているが、プールでの水中トレーニングを扱ったものは見つけられなかった。

 わたしは歩いた。筋肉をリラックスさせるようにイメージしながら、とにかく1時間水中を歩いた。横歩き、後ろ歩き、大股歩き、水の抵抗を利用してヒザから下を意識的に振り出して歩いたりといろいろ変化をつけてはみた。しかし、汗をかかない、息があがらない、筋肉痛にならないなど、成果が目に見えてこない単調なトレーニングは、何度もこれでいいのかと不安になった。

 同じころ、クロアチア・ザグレブに移籍したカズがももの筋肉にハリがあって、チームとは別メニューでプールでトレーニングしていると新聞に報じられていた。もっと詳しくどんなトレーニングをしているのか記事にしてくれればいいのにと思ったが、わたしのやっていることは少なくともまちがっていないと勇気づけられた。

 プールでのウォーキングを1カ月間したあと、マシントレーニングを再開した。いまは筋肉の不安なくマシントレーニングができている。このプールとマシンのトレーニングをほどよく組み合わせていくことが、新シーズンを戦い抜くカギではないかと考え始めている。

 最近、37歳で現役を引退した勝矢寿延さんの長い選手生活を支えたコンディショニングについての記事を読んだ。練習量の多さで有名な選手だった。激しい筋力トレーニングで強い肉体の基礎をつくったのは事実だが、プールでのトレーニングで自分の体の状態がわかるようになり、自然治癒力を高めていったのだそうだ。そして、なにより「35歳を過ぎてからは休養の重要性を考えるようになった」という言葉がわたしの心にひびいた。

 日差しが春の到来を告げ、シーズン開幕まであと1カ月。チームの練習、トレーニング、そして休養。自分にとって最適なバランスを見つけだすことこそ、ことしのテーマかもしれない。