「やったぁ!!」
長い長いロスタイムが終わり、審判が試合終了の笛を吹いた。新しいアジア・チャンピオンの誕生だ。大会のMVPは名波。日本代表のニュー・リーダーの誕生でもあった。
アジアカップ前の世間の期待は大きかった。
「ベスト4は当たり前」「3位以内でないとトルシエの首がとぶ」「優勝できるだろう」
1次リーグで敗退するなんて、だれも考えていないようだった。しかしわたしは、サウジアラビア、ウズベキスタン、カタールの名を聞いて、どれも簡単に勝てる相手ではないと思っていた。
オフトが日本代表の監督になって以来、まぎれもなく日本はアジアの強国のひとつになった。しかし、オフト監督のときは中東でトーナメントを戦うきびしさを、加茂監督のときは広いアジアで勝ち抜くことのむずかしさを思い知らされていた。どの国も勝てない相手ではないが、どの国にも負ける可能性があった。
しかし、今回の日本代表はほんとうに強かった。ボールをもつ技術がどの国より優れている。ボールをきちんと止めて、きちんとけれることがこんなにも試合を支配できるものなのだ。
なかでも名波のプレーは頼もしかった。名波は以前から技術の高い、うまい選手だったが、「頼もしい」と思ったのは今回が初めてだ。アジアカップ直前のJOMO
CUPで久しぶりに名波のプレーを見たときは、ちょっと不安だった。プレーが途切れるたびに給水に走るさまは、90分間もつのかしらとさえ思わせた。
しかし、レバノンにはいってからの名波は、そのトリッキーなプレーではなく、運動量と体を張ったプレーでチームを引っぱった。そして、16日間で6試合というハードな日程をフル出場で戦いぬいた。名波は以前の名波ではなかった。
1年前に名波をイタリアに見送ってから、わたしたちはなかなかその姿を見ることはできなくなった。チームの事情もあったのだろう。名波の良さを生かしているとは言い難かった。プロの選手は試合に出てこそ評価される。はたしてイタリアに行った意味があったのか、わたしは疑問を抱いていた。
「イタリアにパスタを食べに行っていたわけではない」
名波に言われるまでもなく、アジアカップでのプレーを見て、わたしの疑問は解けていた。試合に出られなくてもくさることなく、チーム内の生き残りをかけて、きびしい練習を戦い抜いてきたこと。与えられたチャンスに100パーセントの力を出し切る努力をしてきたことを。それが大きく名波を成長させていたのだ。
「若い選手のいいところを引き出すようなプレーができればいいと思う」
まだ27歳、サッカー選手としてはいちばん働きざかりの年齢にもかかわらず、ずいぶん年寄りくさい言い方だ。しかしそれは、自らリーダーの器じゃないといい続けた名波が奇しくもリーダーであることを示すようなひとことだった。
このアジアカップは、オリンピック世代とその上の世代がうまくひとつのチームになれるかどうかにかかっていた。名波という新しいタイプのリーダーを得て、アジアのトップに立つことができた。
そして同時に、2002年に世界と互して戦うスタートラインに立ったのだ。
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