私のブラジルも最終章にはいった。
日本がラウンド16に勝ち上がることを想定して、28日のリオと29日のレシフェのホテルと飛行機を予約していた。
GOL航空のキャンセルによって、レシフェへの早朝便がキャンセルになり、TAM航空で取り直したが、キックオフ2時間前に空港に到着する便しかなかった。
今回のワールドカップは宿泊の拠点がなく移動移動の毎日で、いつもスーツケースを持ち歩く旅になっている。
空港にキックオフ2時間前に着き、荷物が出てくるのを待ち、ホテルに預けてからスタジアムに向かうのではまったく間に合わない。レシフェのスタジアムは空港からメトロに乗って40分、そこからシャトルバスで20分、そこからスタジアムまで歩いて20分。それだけで1時間20分かかってしまう。乗り換えの時間、待ち時間・・・。直接向かってもキックオフに間に合うかどうかというところだ。
そこで考えた。荷物を宅急便で送ってしまおう。
調べたらTAM カーゴというのがあって、空港で荷物を預けると中1日で届けてくれるという。よし、これでいこう!
27日にリオの空港に到着したら30日に泊まるサンパウロのホテルに送ればいいのだ。27日にブラジリアのホテルを出るときに、小さいリュックに3泊4日分の着替えとPCだけを詰めてスーツケースを送る準備は万端で出発した。
リオの空港に着いたら、まずTAMのカウンターをめざした。日本では、到着したら荷物を送るカウンターがあるものだ。TAMの職員に「荷物を送りたいのだけれど、TAMカーゴはどこにある?」と聞いた。一瞬まゆをひそめて、「あぁ、それならそこの出口を出て、左に左にいけばあるわよ」
「外か・・・」大きなスーツケースをカートに乗せて外に出た。外は外だ。がたがたの石畳をカートは道路を移動する。どこにも看板は出てこない。停めていた車に「TAMカーゴはある?」「あぁ、左に曲がって、4つ目の建物だよ」「4つ目・・・」
道路を渡り、1つ目、2つ目、3つ目・・・と数えていく。4つ目。そこは貨物を扱う大きな車が出入りしていた。頑丈な門の前には守衛が立っていた。
「TAMカーゴは?」「TAMカーゴ? あぁ、この奥にあるよ」
奥に入って行くと「TAM cargo」と書いた小さな看板があった。
中に入ると、カウンターがあった。ここで荷物を預けて完了だ。
「このスーツケースをサンパウロのホテルに送りたいのだけれど・・・」
英語で言ってみた。英語はまったく通じないけれど、送りたいという気持ちは通じたようだ。職員は大きな用紙を持ってきて「ここに書き込め」という。
こちらの名前と送り先のホテルの名前と住所があれば届くでしょ。
ことはそう簡単には運ばなかった。Marceloと名札にかかれた職員は言葉が通じないとわかると、書き込まれた見本の用紙をもってきた。
「ここに名前を書くんだけど・・・」。説明をあきらめたMarceloは「オレが書いてやるよ」。書き込まなければならない欄を見ると、どうやらCPF(納税者番号)が必要らしい。ブラジルでは、ことあるごとにCPFが必要になる。本人確認みたいなものなのか・・・。パスポート番号じゃだめなのか・・・。
Marceloは、どうやら送り主をMarcelo自身にしようと提案しているようだった。Marceloは自分の名前と住所とCPFを書き込み、送り先のホテルの住所のカードを見せると、それも書き込んだ。
「ホテルに電話しておく。それが安全だ」って言ったような気がした。
ここの責任者であるMarceloは、店内すべてに気を配り、いちどにいくつもの案件をかかえていた。何度か席をはずしたけれど、最後まで人まかせにすることなく用紙を書き込んで「これでOKだ」と言った。
ブラジルで日本と同じように何でも便利に物事が進むと考えるのは間違いだった。クロネコも飛脚もそこにはなかった。
でも、目の前の困っている人に対して、なんとか力になってやろうとする人がそこにはいた。
最後に「Muito obrigado(本当にありがとう)」と言って手を出した。Marcelo は両手でしっかり私の手を包んでまっすぐに目を見て「De nada(どういたしまして)」と言った。
ブラジルはいつも私にやさしく温かい。
プロフィール
大原智子(おおはら・ともこ)
三重県伊勢市出身。1976年大学入学と同時にサッカーを始め、卒業後はクラブチームFCPAFを創設した。76年からチキンフットボールリーグ、81年にスタートした東京都女子リーグでプレーし、現在もFCPAFで現役。81年から84年まで日本代表。ポジションはMFだが、日本代表ではDF。クラブでも、チームの必要に応じてFW、DFでもプレーした。選手活動のかたわら、ワールドカップは82年スペイン大会、86年メキシコ大会、90年イタリア大会、94年アメリカ大会、98年フランス大会、02年日本/韓国大会、06年ドイツ大会、10年南アフリカ大会、8大会を観戦している。
三重県伊勢市出身。1976年大学入学と同時にサッカーを始め、卒業後はクラブチームFCPAFを創設した。76年からチキンフットボールリーグ、81年にスタートした東京都女子リーグでプレーし、現在もFCPAFで現役。81年から84年まで日本代表。ポジションはMFだが、日本代表ではDF。クラブでも、チームの必要に応じてFW、DFでもプレーした。選手活動のかたわら、ワールドカップは82年スペイン大会、86年メキシコ大会、90年イタリア大会、94年アメリカ大会、98年フランス大会、02年日本/韓国大会、06年ドイツ大会、10年南アフリカ大会、8大会を観戦している。
著書 『がんばれ、女子サッカー』共著 岩波アクティブ新書
・フリーランス・エディター/ライター
・フリーランス・エディター/ライター
・ハーモニー体操プログラム正指導員、ハーモニー体操エンジンプログラマー
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