2000年6月23日金曜日

第47回 放送する権利には「義務」も伴う


 東京は、先週梅雨入りしてからというものずっと雨が続いている。雨に濡れたあじさいの花は日本のこの季節をよく表している。それとくらべて毎夜テレビで見るヨーロッパはからっと乾いた晴天で、それだけで別世界のように感じられる。

 いま、ヨーロッパ選手権のまっただ中。完全な寝不足状態だ。現地時間で午後6時と午後8時45分のキックオフは、日本では午前1時と午前3時45分。これが毎日続く。昼間仕事をもつ身としては、ビデオに録画しておいて翌日の夜に見る、というのが見識ある行動かもしれない。しかし、夕刊に結果が出てから見るのでは、やはりつまらない。結局、どちらかのカードを選んで、1試合を生中継で、1試合をビデオで、ということになる。これが最大限の譲歩なのだ。

「寝不足だよね」ではじまる会話は、「ひとまわり見たけれど、予想以上にフランスがいいんじゃない? ジダンが絶好調だもの」「うれしいことにポルトガルがいいよね。このサッカーで勝ち上がってくれると楽しいよね」「ベッカムのキック見た?!」「スペインはまた期待はずれで終わっちゃうのかな」と、とどまることを知らない。ワールドカップに次ぐ、至福の1カ月間になるのだ。

 それもこれも、毎日ほとんどの試合を生中継してくれるWOWOWのおかげだ。しかし、いろいろな事情でWOWOWが見られないサッカーファンの人たちはどんなに悔しい思いで1カ月を過ごすことだろう。WOWOWはだれもが見られる地上波ではないからだ。

 わたしは先日、その悔しさを味わった。日本代表がモロッコで戦ったハッサンⅡ世国王杯だ。放送権はフジテレビとスカイパーフェクTV(スカパー)がもっていた。

 民放放送と衛星放送が同じ試合を放送するなら、わたしは迷わずCMのはいらない衛星放送を選んできた。BS、WOWOW、ケーブルTVとどん欲にアンテナを引き、契約をしてきたが、スカパーだけはどうしても方角の問題で、アンテナをつけることができず契約できないでいた。それでもフジテレビが放送してくれるのなら、この際CMは目をつぶり、生中継でなくて1時間遅れの放送でも、自分に生中継だと言い聞かせて見た。

 試合は予想以上に日本代表がすばらしく、先手先手をいく攻めでフランス代表を大いにあわてさせた。結局2-2の引き分けで、PK戦で決勝進出は逃したものの、わたしは試合の最初から最後まで興奮して見続けた。

 3位決定戦はジャマイカとの対戦になった。98年ワールドカップ・フランス大会のときの悔しい記憶をだぶらせて、これも見逃せない一戦だとだれもが思っていたに違いない。しかし、その日の朝刊のテレビ欄を見てわたしは愕然とした。深夜2時半のキックオフの時間にフジテレビは映画を放送するというのだ。目をずっと下に移してもサッカーの文字は出てこなかった。

 その日の新聞にはフランス戦のフジテレビの視聴率が、深夜から未明の放送としては異例の6.7%(瞬間最高視聴率は8.1%)、視聴占拠率は平均70.7%(PK戦にはいった4時前には82.2%)であったことが大きく報道されていた。「ワールドカップ・チャンピオンとの対戦であり、大きな関心を集めることは予想していました。だから放送権をとったのです」と、フジテレビの担当者のコメントも載せられていた。

 わたしはフジテレビに電話した。
「きょうのジャマイカ戦の放送は?」
「きょうはスカパーだけです。フジテレビではあすの深夜に放送します」
「あすって、きょうの深夜、日付が変わったあすじゃないんですか?」
 わたしは精いっぱいの皮肉を込めて言ったつもりだったが、
「いいえ違います」のひとことで片づけられた。
 最後まで「きょう放送できなくて申し訳ない」という言葉は聞かれなかった。

 その日わたしは人の迷惑もかえりみず、スカパーと契約している友人に電話をかけまくり、メールを送りまくった。録画してもらったビデオを朝6時に借りに行く約束をとりつけたりしたが、結局は深夜に車を走らせて、生中継で見ることになった。

 前半はやきもきしながら見たが、後半開始直後に城のすばらしいゴールが決まり、そのあとは多彩な攻めのオンパレードだった。結局4-0の勝利に大満足してうちに帰った。前日の朝のいやな気持ちも吹っ飛んでいた。

 いま、2002年のワールドカップの放送権の問題がいろいろ言われている。そして先日、2001年から8年間のワールドカップ・アジア最終予選の放送権をテレビ朝日が獲得したと大きく報道されていた。

 放送関係者の方々はぜひ知っていただきたい。サッカーファンはできるだけリアルタイムで、できるだけ試合に忠実な放送を見たいと思っている。そして、サッカー放送はほかのだれのものでもない、ファンのものだということを。自分のところの都合でもし放送ができないときは、ほかの放送局にゆずって放送してもらうくらいのことをしてもらいたいのだ。放送する権利を得るということは、放送する義務をも負うことなのだ。

 テレビはイタリア-ベルギーの試合を映し出している。さあ、どんな試合を見せてくれるのだろうか。

2000年6月9日金曜日

第45回 興味本位にならないで


 青い空と海を背景に、白い砂浜で楽しそうにボールをける裸の女性たち。最近テレビで流れている歯磨きのCMだ。ヌードカレンダーで話題になったオーストラリア女子代表を起用しているものだ。

「強化費不足に悩むオーストラリア女子代表チームが、資金獲得のために全員でヌードに」 去年の暮れ、カレンダーが発売になる前に通信社が配信するや、大きな話題となって世界中に広まった。カレンダーは予想をはるかに越えて増刷され、世界各国で売られた。その後、日本でCMに起用されるなど大きな反響をよんだ。

 このニュースを最初に聞いたとき、わたしは「やれやれ」と複雑な気持ちになった。

 わたしがサッカーを始めた24年前は、まだ女子がサッカーをやることは一般に認知されておらず、ものめずらしさからか雑誌などの取材が少なくなかった。わたしは多くの人に女子サッカーの存在を知ってもらいたかったし、それがまったく特別なものでなくサッカーというスポーツそのものであるということを強く訴えたかったので、積極的に取材を受けた。

 しかし、受ける質問は「胸でトラップするのは痛くありませんか」とか「短パンをはいて足を振り上げることに抵抗はありませんか」とか「ボーイフレンドはあなたがサッカーをやることに何も言いませんか」というようなものが多く、できあがったページは下半身のアップの写真ばかりで構成され、記事の内容も興味本位のものばかりだった。

 わたしは失望を繰り返しながら、地道に取り組んでいけばいつかきっと受け入れられる日がくると信じていた。いまは多くの人の努力が実を結び、代表がワールドカップやオリンピックに出場することによって、女子のサッカーが一般に認知されたといっていいだろう。しかしそれが、オーストラリア代表のヌードの話題によって揺るがされやしないかと不安になったのだ。

 いまや世界のトップアスリートたちが裸を見せることはめずらしいことではない。スポーツ用品メーカーの広告写真などで披露されるその肢体は芸術といっても過言でない。鍛えぬかれた肉体は性別を越えて、まさにその競技を具現化している。それは見る者の息をのませ、つけいる隙を与えないように思える。

 オーストラリア代表のカレンダーやCMには、スポーツのもつ健康的な明るさはよく表現されていると思う。制作者のねらいはそこにあるのだろう。しかし、その部分だけを切り売りしてしまって、彼女たちが失ったものはないのだろうか。

 水泳の千葉すず選手がインタビューに答えた言葉をふと思い出した。最先端の技術を駆使し、水の抵抗を限りなく少なくした水着の着心地を聞かれ「(ひざや足首まで覆う)この水着なら、やっと好奇のカメラの目から開放されます」 

 5月31日からオーストラリアで女子サッカーの「パシフィックカップ」が開催される。オーストラリア、日本、アメリカ、中国、カナダ、ニュージーランドの6カ国が参加して、総当たりのリーグ戦を行う。

 オーストラリア代表は予想以上の強化費を稼いだが、その成果を見せられるだろうか。日本代表は、Lリーグが大きく変わり、ほとんどの選手の所属チームの競技環境がきびしくなっているなか、どんな戦いを見せてくれるのだろうか。

2000年5月26日金曜日

第45回 自転車で行くJリーグ

 ついに、ようやく、わたしは「わがチーム」のホームゲームに出かけた。2000Jリーグ開幕から約2カ月。ファーストステージ第11節、5月6日土曜日、FC東京対川崎フロンターレ戦は、駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場で行われた。

 ふだんの土曜日なら自分の練習と重なって行けないところだが、ゴールデンウィークを利用して長野県菅平で行われた大会に前日まで遠征していたので、この日はオフだった。

 駒沢公園まではうちから距離にして3キロ強。自転車で15分、歩いて30分ほどのところだ。朝からうきうきした気分で、キックオフの午後1時に合わせて、ランチをもって自転車で出かけた。

 Jリーグが始まってから7年間、自分の町にチームをもたなかったわたしは、いろいろなスタジアムに出かけていって試合を観戦し、お気に入りの選手を応援した。しかし、何かもの足りなかった。浦和の駒場競技場や鹿嶋のカシマスタジアムには、家族連れや友だち同士が自転車で四方八方から集まってきて、試合が終わると三三五五散っていく。わたしはその風景にものすごくあこがれを感じていた。

 実際、FC東京にとって駒沢は仮の住まいで、来シーズンからは調布市に東京スタジアムが立派にできあがることになっている。「自転車で行くJリーグ」は今回限りかもしれない。しかし、夢は実現した。

 この気持ちをどう表現したらよいだろう。そう、日本代表が初めてワールドカップのピッチに立ったときに似ている。わたしは1982年から毎回ワールドカップに出かけていっては、ブラジル代表やフランス代表のユニホームを着て、応援していた。それはそれで本当に楽しくて、ワールドカップを堪能したと思っていた。しかし、98年フランス大会、トゥールーズのミュニシパル・スタジアムのピッチに立つ日本代表の姿をスタンドから見たとき、それまでとはまったく違った感情に支配された。「わたしのワールドカップはこれなんだ」と。

 「わたしのJリーグがようやくやってきた」
 J2から応援しているファンやサポーターの人たちからは「なにをいまさら」と笑われるかもしれないが、遅ればせながらのファンをどうか受け入れてほしい。

 試合は、今季J2からJ1に昇格したチーム同士の力のはいったものだった。FC東京がしっかしとした守備から前へ前へ出ていくサッカーで川崎を圧倒したが、監督が替わったばかりの川崎も最後まであきめずに東京を苦しめ、結果は2-1。なかでも昨季まで川崎に所属していたツゥットは両チームのファンの声援を受けて、グラウンドを縦横無尽に走り回り、攻守に活躍した。

 この日の入場者数は1万1229。2万人収容の駒沢の陸上競技場がなんとなく埋まった感じだ。わたしはもちろんレッズやアントラーズのサポーターはすごいと思う。あんなに大勢でいつも応援したいと思う。しかし、このくらいのファンで埋まる、このくらいの規模のスタジアムをもつチームが、日本中に、だれもが自分の町にもてたとしたら、どんなにしあわせだろう。

 「♪お~れのとうきょう、ほ~こりをもって~、立ち上がってみんなで歌おう、ランラララッラ、ラッラ、ララ~♪」
 覚えたての応援歌を口ずさみ、わがチームの勝利に酔い、しあわせな気分で自転車をこぎながらうちに帰った。

2000年5月12日金曜日

第44回 女子にもシニア大会を


「おっ、久しぶり」
 冷たい雨のなか、声をからして応援していると、突然声をかけられた。

 わたしには、自分のチームのほかにもうひとつチームがある。東京都男子社会人リーグ3部に所属するチームだ。17年前から、自分のチームの予定がないときは、練習、試合、合宿にと参加させてもらっている。メンバーは20代から60代と幅広く、自分のチームでは飛び抜けて最年長のわたしが平均年齢くらいなのも心地よい。

 男子のチームなのだが、シニアの大会に参加するときには、わたしも試合に出ることができる。先週末、そのチームが茨城県波崎町で行われたシニアカップに出場した。数年前から毎年開催されているもので、基本的には40歳以上の大会だ。ただし、試合に出ている11人中3人までは36歳から出ることができ、女子なら人数も年齢も制限がないのだ。

 わたしは久しぶりのオフの日曜日にこの大会に参加していた。前日からかなりの雨が降っており、非力なわたしは試合に出ても役に立ちそうもなく、もっぱら応援に精を出していた。

 声をかけてきたのは、大学時代のコーチだった。十数年ぶりに会うコーチは、いまも東京都社会人リーグで大学のOBチームの一員としてプレーしており、この大会には別のシニア・チームで参加しているという。

 次に行われた試合は、どちらのチームにもかつて日本リーグでプレーしていた選手が何人もおり、優勝候補同士の屈指のカードだった。そのなかでコーチは中心選手として活躍していた。

 この大会では、昔の有名選手も名もなき選手も同じように必死でボールを追い、勝負にこだわってプレーしている。そして、だれもがこの大会を楽しみにしている感じが伝わってきて、とてもうらやましく思った。

 しかし女子はというと・・・。数年前のことだ。かつてのチームメートたちが、子育ても一段落したのでまた昔の仲間とサッカーがやりたい、とチームをつくった。いまさら中学生や高校生といった元気な若者と試合をする気はない、と一般リーグではなくママさんリーグに参加しようとした。しかし、拒絶された。

 そのころの東京都ママさんリーグの参加資格には、「20歳以上の経産婦もしくは35歳以上の女子」というほかに、「全日本選手権に出場経験のある者は各チーム1名まで」という項目があったのだ。残念ながら、そのチームは第3回全日本選手権大会で準優勝したときの選手たちが中心となってつくったチームだった。

 いまでこそ2番目の項目はなくなっているが、「ママさんリーグ」という名称自体にわたしは違和感を感じずにはいられない。

「ママさんサッカー」というのは少年チームの母親たちが、子どもが楽しそうにサッカーをしているのを見て、自分たちもボールをけりたいと始めたのがきっかけなのだろう。その歴史は古く、果たしてきた役割はとても大きい。

 しかしいま、あらたに「シニア」というカテゴリーを考え始めてもいいのではないだろうか。現在、その年齢層の人が、かならずしも母親という立場でサッカーをしているわけではない。むしろ、「一般」か「ママさん」かの選択に、二の足を踏んでしまう人が多いのではないか。

 わたしはここで「女子シニア(30歳以上)の大会を開催すること」を提案したい。それが「いちどサッカーから遠ざかっていたが、またボールをけりたい人」や「30歳を過ぎてサッカーに興味をもった人」のあらたな選択肢になると信じて疑わないからだ。

 シニアカップに参加し、何人もの古いサッカー友達と会い、なつかしく話をした。そして、冷たい雨の降るなか、彼らが楽しそうにボールをける姿を見ながらこんなことを考えた。

2000年4月14日金曜日

第43回 テレビの前のひとりごと


「シーズン到来!」といっているうちに、Jリーグはもう5節を終えた。わたしはなんて無精なファンだろう。日本代表の試合を見るために神戸まで出かけていくくせに、Jリーグには今シーズンまだいちどもスタジアムに足を運んでいない。

 これには悲しい訳がある。93年にJリーグが始まって以来7年間というもの自分の応援するチームをもっていなかった。各チームにお気に入りの選手がいて、どちらが勝つかということよりも、だれがどんなプレーをするかということに興味があったのだ。

 うちにいると午後2時からと4時から、そして7時からの3試合を連続で見られるときもある。そうするとだいたいJリーグの流れが見えてくる。好調なチーム、勢いのあるチーム、悪くないけれどなかなか勝てないチーム、これじゃ低迷はしょうがないと思えるチームなど、順位がだいたい納得できる。テレビ観戦はたくさんの試合が見ることができて、客観的にJリーグを楽しむのには悪くない。

 しかし、テレビ観戦を楽しんではいるが、テレビ中継に満足しているわけではない。「本当にオフサイドなの? オフサイド・ラインで撮ったカメラはないの?」「どうしていま監督の顔を映さなきゃいけないの? プレーを映してよ!」「えっ、CMのあいだに点がはいっちゃったの? 信じられない」「うわっ、どこ撮ってんのよ!」「ピッチサイドレポーターの顔なんか映さなくていいから、試合を見せてよ」

 テレビに向かって文句の言いっぱなしだ。実況や解説はほとんど聞いていない。おしゃべりがエスカレートして、どんどん試合から離れてしまうことが多いからだ。

 しかし8日土曜日、日本テレビで中継したヴェルディ対ジェフ戦のアナウンサーと解説者の言葉は聞き流せなかった。

 ヴェルディのFWが相手陣ペナルティーエリアにドリブルではいっていこうとする。ジェフDFがマークに付く。ヴェルディの選手が倒れる。レフェリーが笛を吹き、胸に手をやりカードを出す。カードはヴェルディの選手に出された。PKをもらおうとわざと倒れたのだ。リプレーで見てもまったく足は掛かっていなかった。

 アナウンサー「これ(わざと倒れたこと)は、サッカーという競技では許される行為です。マリーシアですね」 
 解説者「イマジネーションの一部です。いいことですね。でも演技が下手でした」
 アナウンサー「昔の読売クラブの選手たちはもっと演技がうまかったですよね」
 解説者「もっと、演技を磨かなきゃいけません」 

 ファウルを受けていないのにわざと倒れる行為は「シミュレーション」といって、最近とくにきびしく罰せられる。それは、サッカーをつまらなくさせる行為だからだ。ファンはけっしてそんなプレーが見たいわけではない。そして、ファンはそんなコメントが聞きたくてテレビを見ているわけではないのだ。

「この試合はヴェルディの試合内容も解説もつまらなかった」
 そう文句をいいつつ、次のレイソル対FC東京戦にチャンネルを変えた。試合はレイソルが先制するものの東京が追いつき前半1-1。後半、レイソルがオウン・ゴールで2-1とするが、すぐにまた東京が2-2と同点に。テレビに向かって声をあげて応援する。延長戦になると突然、放送終了をアナウンサーが告げる。

「そんなばかな。こんな試合を最後まで見せないでどうするの」
 テレビに向かって叫ぶ。まったくこれだからテレビはいやなのだとぶつぶつ文句をいいながら、突然我に返った。わたしはテレビ観戦などしている場合ではなかったのだ。今シーズンから、8年目にしてようやく、自分のチーム「FC東京」をJ1にもつことができたのに、無精してスタジアムに出かけていかなかった。

 FC東京はわたしの応援を待つまでもなく、快進撃を続けている。守るだけでなく果敢に攻め、先制されてもけっしてあきらめることなく最後まで戦う。なんて誇らしいチームだろう。わたしもふさわしいファンにならなければならない。

 まずスタジアムに出かけよう。そして、だれにじゃまされることなくひとつひとつのプレーを自分の目で見、だれに遠慮することなく歓声をあげ、自分のチームの勝利のために心から応援しよう。

2000年3月24日金曜日

第42回 パワーをもらった日


「大原さんなら、ハーフタイムにどういうふうに選手に言います?」「どうアドバイスすれば流れが変わったんだろう?」「やっぱり、ボールの持ちすぎちゃいます?」「せっかく東京から見にきはったのに、こんな試合で気の毒やわ」
 関西弁で加治真弓がまくしたてる。 

 3月15日、神戸総合運動公園ユニバー記念競技場で日本代表対中国代表の試合を見終わったあとの帰り道のことだ。3万9482人の満員の観客のほとんどが市営地下鉄の「総合運動公園」駅や近所の駐車場に向かうなか、加治たち地元民にうながされて次の駅まで歩き始めていた。山麓バイパス沿いにすこし坂をのぼって振り返るとスタジアムがぼんやり浮かんで見えた。

 わたしはべつに失望などしていなかった。久しぶりに見る名波は左サイドで自在にボールを操り、中田英寿は華麗なスルーパスというイメージから一歩進んで、突き刺さるようなサイドチェンジのパスを見せてくれた。わたしは思わずウォーと声をあげた。このパス一本見れただけでも、神戸に来たかいがあるというものだ。

 しかし、このところなかなか勝てない自分のチームと日本代表を重ね合わせて、力の差を見せつけるような、きっちり勝つ試合を見て勇気づけられたかったことも事実だった。なんとなく不純な気持ちのわたしに対して、まっすぐサッカーと向き合ってエネルギッシュに語りかけてくる加治の言葉にただ圧倒されていた。

 この友人たちと神戸で会うのは何年ぶりだろう。思えば80年代の前半、わたしは毎年ここ神戸を訪れていた。1980年に現在のチームをつくったわたしたちは、監督もコーチもおらず、10人そこそこで夏の合宿をするよりも遠征して試合をすることを選んだ。そして、神戸FCレディースとのつきあいが始まった。神戸FCは歴史あるクラブで、レディースも1975年に創設されていた。組織されたクラブ運営は、チームをつくったばかりのわたしにとってあこがれだった。試合はいつもきちんとセッティングされ、試合のあとには手づくりの歓迎会が用意されていた。

 約15年ぶりで会った加治は、去年から受講していたC級指導者講習会の話を目をきらきらさせながら話してくれた。それで、冒頭のような言葉が次から次へと出てきたのだ。
「とにかく、いままでやってきたことが、頭のなかできれいに整理された感じなんですよ。いまから選手に戻ったら、すごくうまくできるような気がする」

 加治真弓、1964年6月28日生まれ。1975年小学5年のとき神戸FCレディースでサッカーを始め(中学3年間は高倉中学でプレー)、1992年に現役を引退。代表歴は48試合、代表デビューは1981年の対イングランド戦。第6回、第7回、第8回アジアカップ、第11回アジア大会、第1回ワールドカップ出場。

 この輝かしい経歴に加えて、選手を引退したあとは、中学教員として男子チームを5年半指導している。「C級ライセンスをとったからといって、いままでと指導法が大きく変わることはないですね。ただ、これをきっかけに女子の指導をしていきたい。わたしはサッカーをすることで外国に行けたり、いろいろな人と出会えたり、サッカーはわたしの人生を広げてくれました。そういう経験をできる女子の選手をひとりでも多く育てたいんです」

 公立の中学校にいるかぎり、いろいろな制約がある。地域の女子サッカーを指導したいと思っても簡単にはいかない。
 しかし「ことしは、女子の指導にたずさわる第一歩をふみ出したい!」という、加治のまっすぐなまなざしと、話す声のトーンは最後まで変わることはなかった。

 日本代表の勝利よりももっと大きなパワーをもらうことができた神戸の一日だった。

2000年2月25日金曜日

第41回 自分のチームをつくろう!

 ことしの冬は暖かかったと思っていたら、さすがに2月の最後には身を切るような冷たさがやってきた。しかし、これも冬が最後の寒さをふりしぼったものなのだろう。日差しは日に日に強くなり、そこここに春の息吹が感じられる。仕事場への道はいつも季節を感じさせてくれるが、気の早い桜がもうほころび始めた。

 春はなんといってもスタートの季節だ。新しい学校、新しい学年、新しい職場、新しいシーズン。そして新しくサッカーを始めたい人たち・・・。

 1月のなかばに「神田サッカーナイト」というイベントに参加した。サッカー好きが集まり、テーマを決めてサッカーの話に花を咲かせるというものだが、毎回ゲストを招いて行われている。その日のテーマは「女子サッカーの下部構造」について。女性がサッカーを始めたいと思うときに、どんな環境があるのか、どんな選択肢があるのかという話だ。わたしは、東京都で一チームを運営する者という立場で、ゲストのひとりとして招かれた。

 30人もはいれば満員という場所だったが、男女は半々くらいの割合で、女性が10数人いたと思う。そのほとんどが、最近インターネット上で募集された「初心者の女性を対象にしたサッカー教室」に参加した人たちだった。

 参加者の質問に答える形で会は進められた。「週に何回練習しているんですか」「1回の練習は何時間くらいですか」「練習はどういう所でやっているのですか」「どんな練習をしているのですか」というオーソドックスなものから、「コーチは有資格者ですか」とか「女性だけのチームはうまくいかないと聞きましたが、どうですか」とか「妊娠中なんですけれど、サッカーは続けられますか」といったユニークなものまでいろいろあって楽しかった。ひとつひとつの質問に丁寧に答えていたらあっという間に時間がたってしまった。

 会が終わったあとで、わたしはなにかもの足りなさを感じていた。彼女たちはたしかに熱心ではあるが、サッカーに対して消極的ではないかと思えたのだ。インターネットを通じて集められたというそのサッカー教室には40人以上が参加したという。しかし、「コーチの教え方が合わない」「レベル差があって楽しめない」「サッカーに対する考え方が違う」など不満も多く聞かれた。

 わたしはここで提案したい。「自分たちでチームをつくろう!」

 もちろんサッカーはひとりではできない。しかし、選手11人以上と監督、コーチがいてはじめてチームができる、と考える必要はない。気のあった仲間数人が集まって、とりあえずチームをつくってしまおう。数人なら公園や河川敷などで気軽に練習ができる。試合がやりたければ、5人いればフットサルの大会に出ることができる。フットサルコートに問い合わせれば、どこでも独自の大会を頻繁に開催している。

 だれかが用意してくれるのを待っているだけでは、なにも始まらない。

 サッカーは単純なスポーツだ。足でボールを運んでゴールに入れる。ただそれだけで、楽しい。理屈抜きで楽しい。まず、存分にその楽しさを味わってもらいたい。すべての原点はそこにあるからだ。

「やっぱりサッカーは正規のグラウンドで11人でやりたい」のであれば、たとえばフットサルの大会で知り合ったチーム同士で11人のチームをつくることもできるだろう。チームを運営していくうえで、どうしても監督やコーチが必要になるかもしれない。チーム内でいろいろな問題も起きてくるだろう。しかし、それもこれもサッカーをやりながら考えていけばいいことなのだ。

 春はそこまで来ている。とりあえず外に出て、ボールをけってみよう。