昨年の10月29日に「マリノス・フリューゲルス合併」が発表されてから3カ月半の間にいろいろなことがあった。
フリューゲルスの選手は、残りの試合を精一杯戦うことが、自分たちにできる唯一のことなのだというようにすばらしい戦いを見せ、本当に最後まで勝ち続けて、天皇杯に優勝するという劇的な最後を飾った。
サポーターたちは、まず団結して合併に反対し、次にはなんとかフリューゲルスの名前を残すためにいろいろな交渉の席についた。そして新しくチームをつくるというところにたどり着いたのだ。
「横浜FC」と名付けられたそのチームはフリューゲルスになれるのかどうかはわからない。しかし、限られた短い時間のなかで「JFLに参加か?!」というところまで漕ぎ着けたフリューゲルス・サポーターたちの実行力には心から敬意を表し、拍手を送りたい。
ここのところ「横浜FCのJFL参加の是非」をメディアが報道するたびに、サッカー界のピラミッド式の構造が紹介される。
底辺に都道府県リーグがあり、その上に地域リーグ、JFL、J2、J1とつながっていく。それはだれもが頂点まで続く「階段」を昇る権利があるということだ。
わたしがサッカーを始めたころは、女子のサッカー人口は非常に少なくて、都道府県リーグもごくわずかのところでしか行われていなかった。わたしは東京都リーグでのプレーを認められて、日本代表や日本選抜のチャンスを与えられた。
もちろん、いまの代表のレベルと比べると雲泥の差がある。それでも代表や代表候補の合宿や遠征に参加すると、高い次元で刺激を受け、いままでやったことのないようなプレーができるようになって帰ってきたものだ。少なからずチームにも影響を与えられたのではないかと思っている。
10年前に現在のL・リーグが天から降ってきたように発足した。頂点であるL・リーグは年々レベルを上げ、日本代表のほとんどがそこから選ばれるようになった。都道府県リーグとL・リーグの間には道も階段もなかった。わたしのチームの次の世代の選手たちは代表や選抜といった目標をもてなくなっていった。
4年前に関東リーグができた。関東8都県のリーグの優勝チームが集まり、ホームアンドアウェーの2回戦総当たりのリーグ戦を行い、関東リーグの順位がどうあろうとシーズンの終了後には各都県に戻って、各都県リーグの優勝チームと入替戦を行うというものだ。
4月に始まる新シーズンから、わたしのチームは関東リーグに参加することになった。リーグ運営費や遠征費などの経費の増加もさることながら、グラウンド確保は最も頭の痛い問題だ。年間のスケジュールを確定するために、ホームゲーム7試合分の雨でも使用できるグラウンドを4月には提示しなければならない。それは東京の一介のクラブチームだけの力では不可能なことだ。情熱やがんばりだけではとうてい克服できない問題なのだ。それでも、みんなで話し合ってやってみようと決めた。
わたしのチームのように何の母体もない、ただの町のクラブチームが上のリーグをめざすとき、東京都協会や女子委員会のバックアップが必要不可欠だ。協力を得るためなら、どこにでも出かけて、どんなつてでも頼って、頭を下げてお願いしたいと思っている。もしわたしたちがこのシーズンを無事に戦い抜くことができたなら、東京都のどんなチームにも上をめざすチャンスがあることを示すことができるのだ。
選手はいつも楽しくプレーしたい、うまくなりたいと努力し、上をめざす。クラブは選手をよい環境で、高いレベルでプレーさせたいと思う。それを地域が少しでも支えることができれば、少しずつでも底辺を広げ、レベルを上げていくことができるのではないか。
「横浜FC」もサポーターたちの熱い情熱と各方面からのバックアップがあってここまで来た。しかし、これからは神奈川県協会や横浜市によりいっそうの協力関係を得るための努力をしていく必要があるのだろう。
フリューゲルスの選手は、残りの試合を精一杯戦うことが、自分たちにできる唯一のことなのだというようにすばらしい戦いを見せ、本当に最後まで勝ち続けて、天皇杯に優勝するという劇的な最後を飾った。
サポーターたちは、まず団結して合併に反対し、次にはなんとかフリューゲルスの名前を残すためにいろいろな交渉の席についた。そして新しくチームをつくるというところにたどり着いたのだ。
「横浜FC」と名付けられたそのチームはフリューゲルスになれるのかどうかはわからない。しかし、限られた短い時間のなかで「JFLに参加か?!」というところまで漕ぎ着けたフリューゲルス・サポーターたちの実行力には心から敬意を表し、拍手を送りたい。
ここのところ「横浜FCのJFL参加の是非」をメディアが報道するたびに、サッカー界のピラミッド式の構造が紹介される。
底辺に都道府県リーグがあり、その上に地域リーグ、JFL、J2、J1とつながっていく。それはだれもが頂点まで続く「階段」を昇る権利があるということだ。
わたしがサッカーを始めたころは、女子のサッカー人口は非常に少なくて、都道府県リーグもごくわずかのところでしか行われていなかった。わたしは東京都リーグでのプレーを認められて、日本代表や日本選抜のチャンスを与えられた。
もちろん、いまの代表のレベルと比べると雲泥の差がある。それでも代表や代表候補の合宿や遠征に参加すると、高い次元で刺激を受け、いままでやったことのないようなプレーができるようになって帰ってきたものだ。少なからずチームにも影響を与えられたのではないかと思っている。
10年前に現在のL・リーグが天から降ってきたように発足した。頂点であるL・リーグは年々レベルを上げ、日本代表のほとんどがそこから選ばれるようになった。都道府県リーグとL・リーグの間には道も階段もなかった。わたしのチームの次の世代の選手たちは代表や選抜といった目標をもてなくなっていった。
4年前に関東リーグができた。関東8都県のリーグの優勝チームが集まり、ホームアンドアウェーの2回戦総当たりのリーグ戦を行い、関東リーグの順位がどうあろうとシーズンの終了後には各都県に戻って、各都県リーグの優勝チームと入替戦を行うというものだ。
4月に始まる新シーズンから、わたしのチームは関東リーグに参加することになった。リーグ運営費や遠征費などの経費の増加もさることながら、グラウンド確保は最も頭の痛い問題だ。年間のスケジュールを確定するために、ホームゲーム7試合分の雨でも使用できるグラウンドを4月には提示しなければならない。それは東京の一介のクラブチームだけの力では不可能なことだ。情熱やがんばりだけではとうてい克服できない問題なのだ。それでも、みんなで話し合ってやってみようと決めた。
わたしのチームのように何の母体もない、ただの町のクラブチームが上のリーグをめざすとき、東京都協会や女子委員会のバックアップが必要不可欠だ。協力を得るためなら、どこにでも出かけて、どんなつてでも頼って、頭を下げてお願いしたいと思っている。もしわたしたちがこのシーズンを無事に戦い抜くことができたなら、東京都のどんなチームにも上をめざすチャンスがあることを示すことができるのだ。
選手はいつも楽しくプレーしたい、うまくなりたいと努力し、上をめざす。クラブは選手をよい環境で、高いレベルでプレーさせたいと思う。それを地域が少しでも支えることができれば、少しずつでも底辺を広げ、レベルを上げていくことができるのではないか。
「横浜FC」もサポーターたちの熱い情熱と各方面からのバックアップがあってここまで来た。しかし、これからは神奈川県協会や横浜市によりいっそうの協力関係を得るための努力をしていく必要があるのだろう。
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