「思い切りインステップで左すみにけれ!」
テレビに向かって叫んでいた。
オリンピック準々決勝対アメリカ戦、120分間の戦いは2-2で終わり、PK戦となる。どちらも3人ずつが成功させ、4人目のキッカーは中田英寿だ。
9月2日に行われたクウェートとの壮行試合、後半5分、高原が相手ペナルティーエリア内で倒されて得たPKを中田がけった。タイミングをはずすようにしてインサイドで右上をねらったキックは、GKにセーブされていた。
悲観主義者のわたしとは違い、中田の頭にはそんなことはすこしもよぎらなかっただろう。中田のキックは、迷いなくまっすぐに左すみに向かった。しかし、キーンという金属音とともにボールは左ポストに跳ね返された。
数年前、お笑いタレントがJリーグのスター選手にPKでつぎつぎと挑戦するというテレビのバラエティー番組が人気を博した。負けてもともとのタレントと勝って当たり前のプロ選手の心理的な戦いがみもので、多くの場合にタレントが勝ち、ついには南米やヨーロッパまで出かけていって世界のスーパースターに挑戦してしまった。
それは「PK対決」という新しい言葉をうみ、サッカーとは別の新しいゲームをつくった。サッカーのルールを知らなくても、ゴールとボールがあってふたりそろえば、いつでもだれでも楽しく勝負できる。多くの人にボールをけらせるきっかけになったのではないだろうか。
しかし実際の試合のなかのPKやPK戦は、多くの場合、ける選手も見ているものにとっても、胸がしめつけられるような緊張感がともなう。そして、名勝負の勝敗を決める一場面として、はっきりと脳裏に刻みこまれるのだ。
いまだに耳の奥にその音が残っているのが、86年メキシコ・ワールドカップ準々決勝、ブラジル-フランス戦のジュリオ・セザル(ブラジル)と98年フランス・ワールドカップ準々決勝、イタリア-フランス戦のディビアジョ(イタリア)だ。どちらも120分間の死闘の末にもかかわらず、もしGKが手にあてたとしてもそれを突き抜けていくような強いキックが、ジュリオ・セザルは左ポストを、ディビアジョはバーをたたいた。そしてバキーンという金属音がむなしく響いた。
ボールの軌跡が目に焼き付いているのが、同じくブラジル-フランス戦のプラティニ(フランス)と94年アメリカ・ワールドカップ決勝戦のバッジオ(イタリア)だ。120分間にわたって、チームの中心として数多くのチャンスをつくり続けたこのふたりには、もう力は残っていなかったのだろうか。ボールは信じられない軌跡を描いて同じようにバーの左上を越えていった。
中田のPKは、わたしの記憶に刻みこまれた。しかしそれは、ただはずれたPKとしてではない。先制された苦しい試合を逆転で勝った南アフリカ戦、深く守備をしかれたなかで2点をとったスロバキア戦、あとがない本気のブラジルとの真剣勝負、疲れがピークのなかでタフなアメリカと戦い、つねに先行した試合。
それらはいつでも、あのキーンと音をたてた中田のPKとともに、ベストエイトという成績を残したシドニー・オリンピックの記憶としてよみがえることだろう。
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